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   <title>在宅 ホスピス医 内藤いづみ ふじ内科クリニック</title>
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   <subtitle>ホスピス医 内藤いづみ ふじ内科クリニック。甲府の小さな緩和ケア診療所</subtitle>
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   <title>今日のつぶやき（2008年12月20日）</title>
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   <published>2008-12-24T04:32:54Z</published>
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      <![CDATA[開業して初めての大失敗。

１９日（金曜日）の夜、家族と親しい人たちと小さな忘年会をした。
長崎の友人から送って頂いた美味しい鯛に舌鼓。

美味しい日本酒“１４代”も嗜んで、気持ちもとてもリラックスできた。

「今年も頑張ったなぁ」などと、心の中で自分を褒めたりして・・・。締めくくりの気分。

さて翌朝、すっかり日曜日の気分に陥った。
私のところは土曜日も外来があるのに！

娘から「お母さん、仕事に行かないの？」と聞かれ、驚いた。
慌てて飛び出して１５分の遅刻。２７日まで気持ちを引き締めて頑張ります！

<img alt="081224_01.jpg" src="http://www.naito-izumi.net/images/081224_01.jpg" width="400" height="300" />
（写真：料理される前の鯛を持つ内藤院長）

「ありがとう！Ｋさん」
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   <title>2009年2月1日　船橋市</title>
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   <published>2008-12-15T10:39:31Z</published>
   <updated>2008-12-15T10:59:59Z</updated>
   
   <summary>千葉県、ＮＰＯ法人千葉・在宅ケア市民ネットワーク　ピュアさん主催のイベント、平成...</summary>
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         <category term="0030)講演" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      千葉県、ＮＰＯ法人千葉・在宅ケア市民ネットワーク　ピュアさん主催のイベント、平成20年度在宅がん緩和ケアフォーラムにて講演することになりました。お知らせです。
      <![CDATA[平成20年度在宅がん緩和ケアフォーラム
「がんでも安心して家で過ごせるまちづくり」

日時　：　平成21年2月1日（日）　13：00～16：30
場所　：　船橋市勤労市民センターホール
お申込み　：　ＮＰＯ法人「ピュア」フォーラム係
電話 : 070-5554-3734
ＦＡＸ : 047-448-7689
email : pure-jime@wind.sannet.ne.jp

詳細はこちらからチラシをご覧下さい。
<a href="http://www.naito-izumi.net/081215_01.PDF">チラシ　表面</a>
<a href="http://www.naito-izumi.net/081215_02.PDF">チラシ　お申込面</a>]]>
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   <title>季節の香り</title>
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   <published>2008-12-12T09:15:11Z</published>
   <updated>2008-12-12T09:17:20Z</updated>
   
   <summary>皆様、どうぞご賞味を！...</summary>
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      皆様、どうぞご賞味を！
      <![CDATA[<img alt="081212_01.jpg" src="http://www.naito-izumi.net/images/081212_01.jpg" width="500"  />]]>
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   <title>今日のつぶやき（2008年12月7日）</title>
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   <published>2008-12-09T07:19:59Z</published>
   <updated>2008-12-09T07:37:21Z</updated>
   
   <summary>6日土曜の午後は静岡市ボランティア協会の講演会。 今年最後の出張。 前日は雨で寒...</summary>
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      6日土曜の午後は静岡市ボランティア協会の講演会。
今年最後の出張。
前日は雨で寒かったが本日は快晴。
富士宮あたりから、すばらしい富士山の全景が広がる。
これが、出張のごほうびのひとつ。
      <![CDATA[<img alt="081209_01.jpg" src="http://www.naito-izumi.net/images/081209_01.jpg" width="400" height="300" />

講演のテーマはケアする人のケア。
自分を大切にしながら、いかに命へ向かいあっていくか。
報告は<a href="http://blog.livedoor.jp/leltugo123/" target="_blank">いけだねっと</a>の深沢さんから、あるはずお楽しみに。

本屋で、遠藤周作先生の本が目にはいった。
いづみさん！と声をかけられたような気持。
20代の後半に教えをいただいた。
私の若さのゆえか、先生の偉大さに今ひとつ敏感ではなかったが、今、改めて先生のやさしさ、深い言葉が心に届く。
私も大人になって、人の哀しみを少しわかるようになったというかもしれない。
先生がいらしたら、と思ってしまうできごとの多いこのごろ。            
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=fsmegamall-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4391136988&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
人生のおへそ、遠藤周作  主婦と生活社刊  

平成20年の暮れに、ぜひ御一読下さいませ。]]>
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   <title>今日のつぶやき（2008年12月4日）</title>
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   <published>2008-12-09T06:18:31Z</published>
   <updated>2008-12-09T06:34:25Z</updated>
   
   <summary>きのうは友人と夕食会でした。 ずっと忙しかったので久しぶりにワインを楽しみました...</summary>
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      きのうは友人と夕食会でした。
ずっと忙しかったので久しぶりにワインを楽しみました。

      <![CDATA[シチリアの赤ワインのおいしいこと！
料理もよかったです。
いささか寝不足で、朝5：45の生島ヒロシさんのラジオに出演。
ラジオの向こうのリスナーに向かってのばんぐみに心をこめて～

ラジオをお聞きになられたＭさんからのおたよりです

<hr>

明けやらぬ　夜に山茶花（さざんか）ただゆかし

おはようございます。
山茶花の白が明けるのが遅くなっている夜の終わりの中で
白く浮かぶようになりました。
漸く五時半に起きて出掛ける事の成果で何度目かの栄に浴し、
先生の元気なお声拝聴致しました。

聞き漏らす事の無きよう冬の朝
]]>
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   <title>往復書簡（米沢慧様）Vol.4 復</title>
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   <published>2008-12-04T02:40:55Z</published>
   <updated>2008-12-04T02:45:55Z</updated>
   
   <summary>米沢慧様 お忙しい中、書簡ありがとうございました。 確かに、１２月になり私のとこ...</summary>
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      米沢慧様
お忙しい中、書簡ありがとうございました。
確かに、１２月になり私のところに届く喪中のハガキも、今年は例年より多い気がします。それより私（昭和３１年生まれ）の親世代が８０歳を越え、同級生からの介護関連の相談が増えています。私の母も８７歳。やっと説得して、先日介護認定を受けてもらいました。
      ひざが悪くなり、お風呂やトイレに手すりを付けた方がよいと、皆が感じるようになったのです。戦争を体験した母の世代は、忍耐・努力の根性が違います。ずっと「大丈夫、心配しないで。」を私たちに繰り返していました。「老い」に必要な「ケア」を認めてもらうのに時間が掛りました。認定をもらうのを母が嫌がっているように私も思っていました。周りのご老人には、定期的に往診で医療チェックに行っているのに、車で片道一時間の母のところにはなかなか行けず、今回の介護認定を機会に少し、医師の目を持って母の老いの日々を見守ろうと思っています（・・・とはいえ、気丈な母の前では、ただの娘になってしまうんですよ）内心、私も母の「老い」を認めたくなかったのかもしれませんね。

先日、一年を締めくくる書簡にします・・・などと大胆にも言ってしまいましたよね。忘れて下さい。（笑）

今年は大きな仕事をいくつか引き受けました。中でも、秋から全国版の新聞に毎週エッセーの連載を引き受けたのは、大きな出来事でした。いのちの選択を日常の言葉で伝えることを目指しています。医者はどうしても難しい言葉を使いたがりますからね。私自身も要注意です。尊敬する永 六輔師匠からも言われています。難しいことをやさしく、やさしいことを深く、と。

この２０年近く、多くの一般市民の方に講演をしてきました。そうです。私の出会った「いのちの物語」を伝えています。多分これまでで７００回近くになります。連載を引き受けたのは、私のホスピス学校で学んだことのひとつの集大成でもあるかな、と思って引き受けたのです。

上の子供ふたりが大学生になり、家を離れました。１５歳の次女だけ残っています。とても寂しいけれど、肩の荷が軽くなったのも事実で、それで大胆にもこんな大仕事を引き受けたのかもしれません。秘密ですが（！）、私が判断したところ、夫は空の巣症候群をしばらくの間患っていました。

五木寛之氏のいう、インドの人生区分でなぞらえると、学生期・家住期・林住期・遊行期。私と夫も林住期に入ったのかもしれません。この辺りからきっと喪中のハガキが増えるのでしょうか？

連載では、いのちの主人公の皆さんを思い出しながら書き進め、どの方も私にとってはいのちを学ぶ先生であったことを心の中で再確認しました。困難ではあるけれど、ご家族との山登りのような看取りの共同作業でありました。

しかし米沢さん、ここに来て社会的な変化が起きています。現場の私だからこそ感じる変化です。なぜ責任の重い「在宅ホスピスケア」を続けるのか、と問われれば、いのちの学びをするためだと私は答えるでしょう。患者さんと家族と、私たちとの信頼関係だけが後ろ盾です。米沢さんも老いた親御さんたちに関わり、介護保険や訪問看護ステーションのことをご存じかと思いますが、このシステムを使うためにはきちんとした書類とサインによる契約書を交わすことがスタートですよね。私からみてもかなり丁寧で（面倒そうな？）書類です。

しかし、たとえば私が飛び込みの、かなり危険な状況の末期がん患者さんを引き受けるとしたら、そこに書類やハンコなどないのです。「信じてくれますか？」「はい」という形だけです。病院などでは手術やリスクを伴う処置の時には同意書がありますが、患者が主体的に私たちのような在宅ホスピス医師を選び、「信じます。よろしくお願いします。」という出会いこそが私たちが困難を乗り越えるためのエネルギー源であり、誇りなのです。それが変わってきました。まず国が積極的に入院短縮を進め、在宅ケアへシフトしています。心の用意も受け入れも充分でない方々が、望まないのに家に戻されてきています。

特に、進行がん患者さんをトータルに支える、つまり、体・心・社会・魂の痛み（トータルペイン）に向かい合う在宅ホスピス医療者はまだ全国的に多くありません。そういう中で、在宅で関わる訪問ナースたちが、苦しむ患者さんを引き受けた時、家族を説得し、私に在宅主治医を依頼してくることも最近多くなりました。そのナースたちは、それ以前私と共に一生懸命に在宅の看取りに関わり、やり甲斐と充実感を体験していました。「内藤先生なら、何とかしてくれるかも。私たちがこの患者さんを見捨てるわけにはいかない―」と。

感情労働とも言われるナースの仕事には頭が下がります。熱い心を持った人も多いです。私がそういうケースを引き受けて鎮痛薬の調整をし、患者の状況が改善されても何か空気がおかしいのです。そこに家族の存在が薄いのです。往診の時に説明したくても誰もいないこともあります。その家族と患者が私を選んだのではなく、ナースが選んだからだと気づいたのはずっと後でした。

ある家族にとっては、病院で看るよりずっと楽でしょう。経済的負担も入院より安い時もあります。ケースによれば、情厚き、親切なナースにほとんど任せきり・・・ということもありました。私たちは家族と患者と交わす信頼関係という確かな保証書がない限り、在宅でのいのちの看取りは肉体的な疲れだけを残す仕事になってしまいそうです。これは愚痴ではなく、おそらく全国でも増えていくケースではないかと危惧を抱いています。どんなに心身が疲れても、私たちに「出会いの感謝とやり甲斐」があれば、何とか回復していけます。今のところ全国的に多くない在宅ホスピス医が、こういうケースをたくさん抱えていくと、燃え尽きて勤務医と同じ「立ち去り」のようなことになるのが心配です。

現代ホスピス創設の母とも言われるシシリー・ソンダースはホスピスの定義をこう言っています

１）患者をひとりのトータルな存在の人間として扱う
２）痛みはもちろん、不快症状の改善に力を尽くす
３）不適当な治療を避ける
４）家族を含めたケア
５）１）～４）を行うチーム医療、それは病院でもホスピスでも家でもできる

いのちに向かい合う、ということはいのちに関わる全ての人たちの学びの場でもあるのに、家族の姿が見えない！今年、私が２，３度心身共に疲れたひとつの原因でもありました。

今年は日本財団から助成金を頂いて、自主企画で４回に渡る在宅ホスピスケアセミナーを主催しました。１回目にはアルフォンス・デーケン神父が講演に来て下さいました。神父は人間の尊厳をこう定義しました。

① 自分の頭で考えることができる
② 自分で選択することができる
③ その結果を感謝し、愛することができる

知り、考え、選ぶ。家に居ることを選ぶ。主治医に私を選ぶ。それこそ、互いに尊厳ある関係の始まりだと思います。

年の終わりなので、ゆっくりと読んで頂いてもいいですよね。少し続けます。
昔、私が出会った患者さんの思い出をひとつ、本から転載します。危篤に近い状況で本人と交わした「信頼」の確認。それは今となると貴い思い出です。

こんな出会いでした。
朝早い時間に受付の電話が鳴りました。
「先生、何か大変な状態なんですって。すぐ行きますから待ち時間なしで診療して下さいと言って、切れてしまいました。もう近くまでいらしているみたいです。とても切迫した声でした。」

電話を受けた事務の係が伝えてくれました。それを聞いた５名のスタッフ全員に緊張が走りました。数分後にクリニックのドアが開き、男の人がぐったりとした女性を背負うようにして入ってきました。それが三上さん（４５歳）との出会いでした。私たちはすぐに彼女を抱えると、診察室へ運び込み、診療台に横になって頂きました。顔色は蒼白、もう口をきく力も残っていないのでしょう。瘦せ衰え、精根尽き果てて、このまま永遠の眠りに就くかのように、眉間に深いシワを寄せ、じっと黙って目をつむっています。

苦痛に打ち負かされる寸前の顔です。ご主人と息子さんが付き添っていましたが、ふたりとも憔悴しきっています。どうにかしなきゃ。当時の私はドキドキしたことを思い出します。紹介状も何もなくて、医学的にはっきりした病状は全く分かりません。

「奥様は今、限界に近い危険な状態のようです。すぐに処置を始めないと、苦痛のためにいのちを縮めるかもしれません。病気の経緯、そして大切なことですが、なぜここにいらしたのか、何を私たちに望むのか、そしてご本人の希望は何なのかを手短に教えて下さい。」

三上さんのご主人は、混乱した頭の中を整理するかのように、大きく二回深呼吸し、息を整えながら、病気の経緯を説明し始めました。

「―１年前に肺がんと診断されて、本人も納得して片肺切除の手術を受けた。入院中、気管視鏡検査がとても苦しかった。だからもう辛い検査も入院もしたくない、と本人が言っている。病名については告知を受けている。片肺切除の手術後、次第に呼吸困難、胸部痛、腹痛が増してきて、苦しみや痛みのない日は今日まで一日もなかった。こちらもパニックで、上手く辛さを医者に伝えられなかったかもしれない。最近では、食事も摂れないほどの苦痛が一日のうちの大半を占めるようになった。苦しくて、何日も充分に寝ていない。ほとんど食べていない。家族もよく寝ていられない。昨晩は本人が、苦しすぎてもう生きていたくない、死んだ方がましだ、としきりに訴えた。家族もそれを聞いてとても辛かった。それでも本人は、病院へ入院したくないと言い張る。先生のことを思い出した。困り果てて連れてきた。何とか助けて欲しい。紹介状はない―」

そういう話でした。ご主人にも、全身に疲れがにじみ出ていました。治療を始めるに際して、私は横たわる三上さんの傍にひざまずいて、大切なことを聞かなくてはと思いました。

「三上さん、お会いしたばかりで申し訳ありませんが、ひとつだけ確認したいことがあります。今、とてもお辛い状態ですね。私たちも何とかお役に立ちたいと思っています。最善を尽くします。信じて任せてくれますか？」

彼女は目を薄く開き、私を見ると弱々しい声で「お願いします。」と言いました。こういう状況では、信頼関係という見えない契約書しか交わせないのです。

取り急ぎ、その場で緊急の痛み止めの処置をしました。痛みに打ち負かされそうな症状になっているのに、今まで鎮痛剤もほとんど導入されていないことが分かりました。応急処置をして、その場の痛みだけは抑えるようにしました。

「取りあえず、今日のところはご自宅に帰っても大丈夫です。ごめんなさい。私のところに入院施設はないのです。また痛みが出てきますから、継続的に鎮痛薬を投与することにしましょう。それでだんだん痛みはなくなります。これから看護師が家へ付き添って行って様子を見ます。不安な点はなんでも看護師に伝えて下さい。」

同行する看護師さんと、万一、痛みが取り除けない場合の処置について打ち合わせました。
先程の緊急処置で少し楽になってきた三上さんをしっかりと抱え、ご主人と息子さんは家路に着きました。三上さん一家が無事に帰ったことは、同行した看護師さんから経過報告と一緒に知らされていました。ただし、その後に連絡が入ったらすぐに対処できるようにと、携帯電話を枕元に置いて、服はそのままその晩は寝ることにしました。

朝一番、三上さん宅のほど近くに住む看護師さんに、様子を見に立ち寄ってもらうと、「久し振りにぐっすり寝られたと喜んでいた」との報告を受け、どうにか苦しみを緩和して、いのちを引き止めることができたと、ほっとしました。がんの苦しみは、このように生きる希望さえ奪うのです。

その日から、私と看護師さんが訪問し、痛みをコントロールすることに専念しました。その甲斐あって、症状は見る見る改善されて、クリニックに見えてから４日目、三上さん宅に伺っている看護師さんから、こんな電話がありました。いつも落ち着いている彼女のはしゃいだ声です。

「先生～！今、私たち何をしてると思いますか？甲府で一番美味しいショートケーキを食べてま～す。信じられますか？」

「まあ、それは良かった。おめでとう！」

痛みがほとんど消えたということです。思わずクリニックのスタッフ全員に、

「三上さんがショートケーキ食べてるって！」

と、大声で報告していました。私が在宅で引き受けることができる重症の患者さんは、多くて３人位です。それ以上になると、満足できるきめ細やかなケアができなくなります。そして、うちのスタッフは、関わっている患者さんの状態を皆が共有するようにしています。

「やったねっ！」

思わず、皆で手をたたくほどの嬉しい気持ちです。三上さんは、激痛が緩和されたことによって、生き生きとした表情を取り戻しました。一日一日進行しているがんですから、今日は良くても明日のことは分かりません。でも、患者さんが輝く瞬間に出会うことができるから、時間無制限の仕事という状況にも耐えられるのです。私を信用して下さった三上さんに何とか応えることができ、心から良かったと思いました。後で往診に行くと、少し体力が消耗している様子はありましたが、痛みの消えた、落ち着いた良いお顔しています。

最初にかつがれて来た時の、辛そうな三上さんとはまるで別人のようです。布団の上に座って、病人とは思えない自然な表情で、私を迎えて下さいました。たいへん礼儀正しい方なのです。

「先生、痛みがないって素晴らしいですね。地獄から帰って来た気分です。」

「まあ、良かった。・・・・じゃあ、生還したばかりのところで申し訳ないけど、三上さんはこれからどうしたいですか？」

この質問が大切なのです。つい先日までは自暴自棄になったり、投げやりになってしまいがちだった患者さんに、生きる勇気や希望を掴み直してもらうためにも、この質問をしておく必要があるのです。
三上さんはしばらく考えてから、こう言いました。

「些細なことかもしれませんが、家族の洗濯物を畳みたいんです。」

それから２週間ほど、ご主人とお子さんたちが洗濯物を干し、夕方取り込むと、それを三上さんはゆっくりと畳んで過ごしていました。家族と一緒に食卓も囲みました。痛みの限界まで経験して生きることに絶望していた三上さんですが、日常の暮らしの中で実感できる温かな家族とのひとときに、自分らしさを取り戻せたのでしょう。

「あの時の苦しみは何だったんでしょうね。こんな穏やかな日々が訪れるとは思ってもいませんでした。それに、喉元過ぎれば熱さ忘れるって本当ね。楽になったら、昔の苦しさもケロッと忘れてしまったわ。」

と、三上さんはついこの前までの激痛にさいなまれていた日々を振り返って、私に告げるのでした。
「もっと早くホスピスケアを受けさせたかった。そうしたらもっと前から平穏な日々を送れたのに。大切な時間を無駄にしてしまった気がします。」

と、ご主人がぽつりと言います。現在はホスピスケア、緩和ケアの知識と実践が普及してきているので、これほどの痛みを放置されることは少ないと思います。

ところで、穏やかな時間を過ごすと、家族は残されたいのちが短いということが信じられなくなるのです。もしかしたら、このまま元気になるのではないか、との期待も大きくなります。息子さんが声をひそめて私に聞きました。

「先生、本当に母のいのちは短いんですか？以前の母でしたら、病状が深刻で、すぐにでも死んでしまいそうでしたが、今の母は苦痛を訴えることもなくなりました。もしかして、このまま食事も摂り、元気になって良くなるということはないんですか？」

「そうですね。・・・でも、これは残念ながらがんが治っているということではないのです。今は、お母さんが最後のいのちを輝かせている時間。大切な人との『仲良し時間』とも私たちは言います。」

「仲良し時間？」

息子さんが問い直します。末期がんの患者さんに触れたことのある医療者でしたら、死が近づいた患者さんに、あたかも快復したかのような、力強く、清らかなひとときが訪れていることに気付くはずです。そのひとときを、鈴木秀子シスターは著書『死にゆくものからの言葉』（文藝春秋刊）の中で「仲良し時間」と呼んで、この世を去る準備、人生の最後のメッセージを残す時だと書かれています。ところが、それは呼吸を合わせるくらい患者さんと寄り添う時にはじめて気付く、かすかな合図です。私たちは、それを一番捉えやすい場所が「家庭」なのだと感じています。

３週間ほど過ぎると、三上さんは再び横になる時間が多くなりました。洗濯物を畳んだのは、梅雨の晴れ間のように短い時間だったのです。私はお母さんのいのちが短くなってきたこと、これからは大事な人たちだけでお母さんを囲んであげるように、後悔のないように手を尽くして介護するように伝えました。娘さんと息子さんはちょうど学校が夏休みで介護に専念しています。ご主人もできる限り付き添い続けました。妻を、母を、大切にケアする家族の真剣さに、私たちも心を打たれました。三上さんは、自分のことより家族のことばかり心配します。

「ごはんはちゃんと食べているの？」「お父さん、仕事はだいじょうぶ？」

夜は、子供たちがお母さんの横で手を繋ぎ、ご主人は奥さんの足元に寝ます。三上さんはやがて昏睡状態になり、ほとんど口をきくことができなくなりました。でも、声を掛けると目を開けたり、頷いて返事をします。ご家族は、三上さんの最後の日々を全て目に焼け付けておくかのように見守り続けました。ただ寝ているだけでも、口をきけなくても、家族にとってかけがえのない大切な存在でした。三上さんも、いつも家族のことを想っているという気持ちを充分伝えていました。時折、別れる辛さを訴えるように涙も流しました。ご主人と子供さんたちのことが心配で、なかなか旅立てないのかもしれないとも感じました。しかし、いのちのバトンはいつの間にかしっかりと渡されていたのだと思います。やがて三上さんは家族の愛に包まれて、その愛を確認しつつ、４５歳の生涯を静かに閉じました。

若くして亡くなることは辛く残念なことです。諦めきれない、悲しいことです。でも、家族とずっと一緒に過ごし、最後のいのちを輝かせた三上さんのことを、私たちはずっと忘れることはありません。

このような仲良し時間を共有する余裕を日本人は取り戻せるのでしょうか？

今年観た映画、というより、その原作で心に残っているのは『ライラの冒険』ですね。全集を読みました。暮れに時間がありましたら、ぜひどうぞ。壮大なストーリーです。魂に迫る物語です。同時にライラの成長に泣けます。そもそもこの書簡は“キュブラー・ロス”をめぐるテーマでしたね。なかなか彼女の仕事に行きつけず、何か収拾がつかなくなる広がりの予感？も。しかし、恐い編集者はいないし、それもいいですかね？楽しみにして下さる読者の反響も届いておりますし（・・・と強気で）。暮れと正月にお楽しみで占いの本なんかを読むことはありますか？私はあまり凝らない方なのですが、今回初めて『誕生数秘学』はづき虹映著　というのにはまってしまいました。それはキュブラー・ロスのせいです（！）手短に話すと、ピタゴラスに遡る歴史ある占いらしい（エヘン！）西暦の誕生日を１～９までのひと桁番号に分類する占いです。ただし、１１・２２・３３のぞろ目だけはそのまま（神聖、スピリチュアルな番号らしい？）。お遊びにしてみたら、私は３３でした。これだけではよく分からないでしょう？３３の性格の説明を聞いて下さい。

「世間の常識に囚われない自由人。祈りの人。人類の愛の奉仕者。多くの人の人生に影響を与える人。「無償の愛」をこの世に表現するために生まれてきた人」

ここを読んで、これはキュブラー・ロスのことだ！と思いました。ご存じのように彼女は「アンコンディショナル ラブ（無条件の愛）」を唱えてきましたから。それで彼女の誕生番号を調べてみたら・・・何と、３３番！！私と同じ！

それで急速にこの占いを信じてしまったわけです。（笑）（遊びの範囲です。ご心配なく）３ヶ月ほど、この占いは私の周りでブームになりました。ちなみに、私の尊敬する、シシリー・ソンダースは１１番。『沈黙の春』を書いたレーチェルカーソンは２２番です。ね！何かこの占い、おもしろそうでしょう。しばらくのめり込んだ私の気持ちが分かりますでしょう？

何となく、キュブラー・ロスの変人的な（失礼！）先鋭さ（特に医師に対する批判の強さ）などに、私は改めて共感できたりしました。どんなにモルヒネなどの痛み止めを使いこなせる技術と知識があっても、苦しむ人に対する愛と共感がない限り、いのちを支える働きにはなり得ないのです。情の薄い医師たちについ批判的になる私も、この占いを読んで気持が楽になりましたので報告でした。

年末ということもあり、私のこの返事も少しはめを外したものになりました。お許し下さい。

緒形 拳さんが出演したテレビドラマの『風のガーデン』が話題ですね。私の旭川の友人（病気療養中）の主治医が在宅医の演技指導をしたそうです。ドラマに出てくるガーデンも素敵と評判です。それも友人の友人の手によるものとか・・・。そんな話を聞いて、リアリティを感じます。もし、録画してあったら貸して下さいますか？

では最後に、詩人 谷川俊太郎さんと徳永 進医師の往復書簡集より、詩を抜粋します。このおふたりの響き合う感性はとても素敵ですね。

谷川俊太郎『詩と死をむすぶもの』朝日新書より

さようなら
私の肝臓さんよ　さようならだ
腎臓さん膵臓さんともお別れだ
私はこれから死ぬところだが
かたわらに誰もいないから
君らに挨拶する

長きにわたって私のために働いてくれだが
これでもう君らは自由だ
どこへなりと立ち去るがいい
君らと別れて私もすっかり身軽になる
魂だけのすっぴんだ

心臓さんよ　どきどきはらはら迷惑かけたな
脳髄さんよ　よしないことを考えさせた
目耳口にもちんちんさんにも苦労をかけた
みんなみんな悪く思うな
君らあっての私だったのだから

とは言うものの君ら抜きの未来は明るい
もう私は私に未練がないから
迷わずに私を忘れて
泥に溶けよう空に消えよう
言葉なきものたちの仲間になろう

では、今年はさようなら！
来年もよろしくお願いします。
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   <title>往復書簡（米沢慧様）Vol.4 往</title>
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   <published>2008-12-04T02:36:41Z</published>
   <updated>2008-12-04T02:40:36Z</updated>
   
   <summary>内藤いづみさま １２月、「喪中はがき」でかんがえたこと このところ、いろいろお忙...</summary>
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      内藤いづみさま
１２月、「喪中はがき」でかんがえたこと
このところ、いろいろお忙しかったようですね。元気回復できましたか。
気が付けば雪の便り、セーターを着込んだところで今年も喪中はがきがとどきはじめました。
      その数も年々増えてきているようにおもいます。また、「母、享年百二歳」「父、九十八歳」と年齢が高くなる一方で同世代の人からは「妻」や「夫」の死が伝えられています。

喪中はがきといえば、
「喪中につき、年頭の挨拶は失礼させていただきます」
「……年末年始のご挨拶はご遠慮申し上げます」
と、どれもが印刷され、一般に形式も整っており破綻もない儀礼的なものです。
１年に１度の消息が年明けを前にして届くものですが、賀状とはちがいつい身構えてしまいがちです。
なかには、心にしみる思いがけないことばにであい、しばらく保存しているものがあります。

〈拝啓　今年も残り少なくなりましたが、お変わりなくおすごしのことと拝察申し上げます。私事ですが、今年５月３１日、母○○が帰らぬ旅立ちをいたしました。いつものように、夕食もそろそろ終わろうかという時でした。母はふっと、蝋燭の火が消えるように、家族の眼前で逝ってしまいました。

　私たちがそばについていながら、と自責し、９０歳をこえてなお、母がいつまでも、ともに生きているものと疑わなかった、わが身のおろかさを思いました。

それから半年、そう願わなくとも、時間はすこしずつ癒しをもたらして、今年もほどなく暮れ、新しい年がやってまいりますが、このたびは喪中のならいに従い、新年を寿ぐご挨拶を遠慮させていただくことにしました。……〉

〈哀しいご報告をさせていただきます。妻、Ｍが１２月１０日に急逝いたしました。享年５５歳でした。今、私たち残された家族は、深く辛い別離のなかで、ただただ呆然としております。妻の命が「いのち」として私たちの心の奥深くにしみわたり、悲しみと共生できる日を静かに待ちたいと考えております。

　妻は、はにかみやで派手なことを嫌う人でもありました。そこで妻の意にそう形で内輪にて葬儀をさせていただきました。妻そして私たち家族に賜りましたご厚情を深く感謝いたします。幸いにして長女△△、長男▲▲が私を支えてくれています。３１年間の夢のような結婚生活を送らせてくれた妻に感謝しつつ、ご報告させていただき、新年のご挨拶をご遠慮させていただきます。……〉

　亡くなった方と面識があるわけではありませんが、それぞれに胸を打たれて、返事を出すすべもないまま、いまも引き出しに納まって残っています。

ここには、新年を迎えることよりも、ともに生きた歳月を明け渡すことのほうがつらいこと。けれど「少しずつ癒しをもたらしてくれる」という時間と、「悲しみと共生できる日を静かに待ちたい」という祈りにちかいおもいも伝えられています。

年があらたまり、やがて安息安寧の日々を伝える賀状をまつのです。その次の年にはきっと賀状が届きます。

喪中。死亡した人を追悼する礼。このことばが喚起するものはなんでしょうか。
「歳月」ということばです。亡くなった人との親密な歳月への思いです。
茨木のり子詩集に『歳月』があります。

この詩集は生前発表する意思がなかったとおもわれます。夫と暮らした２５年という歳月を、詩人が亡くなる日（２００６年死去・８０歳）までの３１年間、密やかに書き継ぎ保存されてあった３９編で、すべてが夫との暮らしにふれた作品です。
表題となった「歳月」をあげてみます。

《真実を見きわめるのに
 二十五年という歳月は短かったでしょうか 
九十歳のあなたを想定してみる
八十歳のわたしを想定してみる
どちらかがぼけて
どちらかが疲れはて
あるいは二人ともそうなって
わけもわからず憎みあっている姿が
ちらっとよぎる
あるいはまた
ふんわりとした翁と媼になって
もう行きましょう　と
互いに首を締めようとして
その力さえなく尻餅なんかついている姿
けれど　歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生きぬいている人もいますもの》

詠むかぎりにおいて、歳月とは亡き夫とのかけがえのない二五年間の追慕ですが、詩篇の内実はそれだけではありません。「九十歳のあなたを想定してみる／八十歳のわたしを想定してみる」という夫の没後の歳月（３１年）と残された自らの暮らしが重なっていますね。つまり、喪に服すのではなくて、夫との共生のなかにその後の年月が育まれています。歳月は過去形としてあるのではなく、老いを支え、生きていくおだやかな安寧の日々のなかに埋め込まれているのがわかります。

師走に届く喪中はがきといえば、お定まりの「喪中につき、年末年始のご挨拶はご遠慮申し上げます」。けれど、その一行のなかに「いのち」の物語が秘められていることだけはまちがいありません。
こんなことをあらためて抱いたのも、私自身さきごろ学生時代からの友人を亡くし、一人残されたその母御（９４歳）から同様のはがきが届いたことと関係しています。

けれど、友の死は身内の抱く哀しみ、喪に服すというかたちでは収まりがきかない悼みの感覚です。先日もある人から「友だちの死はジャブのように少しずつ効いてくるよ」と聴いたことがあります。この悼みはどう表現したらいいのか、どう受けとめたらいいのか。そんな自問自答に応えるように最近ある本に出合いました。哲学者鶴見俊輔（86）著の『悼詞』（ＳＯＲＥ）という本です。

この本はざっと４００頁、一冊まるごと弔辞や追悼文でうめつくされています。鶴見俊輔といえば、戦後の思想界をリードしてきた重鎮の一人です。その交流の広さから採りあげられた人たちの顔ぶれは１２５人。銀行家の池田成彬（50年没）からマンガ家の赤塚不二夫（80年没）まで、作家、学者にとどまりません。同時代を生きたそれぞれの仕事から人柄まで感傷のない、たしかな悼詞の連鎖になっています。

ここで悼詞とは単に人の死をいたみ弔う詞、というのとはちがうのです。本書冒頭にあった次の詩篇がその意を伝えているようにおもいます。

《人は死ぬから　えらい
　どの人も　死ぬからえらい。

　わたしは　生きているので
　これまでに　死んだ人たちをたたえる。…》

そうだ、大事なことを忘れていたという思いでした。人は誰もが死ぬことは知っています。いつか死ぬと思っていますが、目の前で死んでいくのはいつも私以外のだれかです。この哀しみに対して「わたしは　（まだ）生きているので　これまでに　死んだ人たちをたたえる」とつぶやいてみます。すると、悼詞は喪ったこと以上に、生の意味をたしかなものにしてくれそうな気がします。念のために補足しておけば、本書あとがきで「私がつきあいの中で傷つけた人のことを書いていない」という鶴見さんの自省が述べられていることです。つまり、悼詞には、人はどこかでだれかを傷つけることなく生きていくことはできないという自戒も含んでいるということです。

こうした感想を臨床の場面に移して考えるとどうなるか、ここでも最近出た『詩と死をむすぶもの』（朝日新書）から教えられたことがありました。この本は詩人（谷川俊太郎）とホスピス医（徳永進）の往復書簡ですが、冒頭の口絵写真「野の花診療所の近くを流れる千代川の河原にやってきた野の花旅団のご一行さま」に感銘を受けてしまい、壁に貼りつけてしまいました。このあかるさは、このやすらぎとおだやかさは…。

この本については内藤いづみさんの感想を待ちたいですね。キューブラー・ロスについても語られています。

さて、今年さいごの便りにもうひとつ、９２歳の女性の方から届いた転居通知のはがきを紹介したくなりました。

〈私は９２歳の誕生日を前に夫とともに、××不動尊近くの老人ホーム○○に居を移し、ここを終の住処と定めました。
住みなれた△△の家を離れるのは淋しいものでありますが、昨年１１月頃ころんで右大腿骨を折ってしまい、以来、自力歩行がかなわずやむなくこのような選択となってしまいました。
ただ、本意ではないとはいえ、ホームのくらしに不満はありません。自分の身一つままならぬ毎日ですが、介護者の助けを得て、これからの一日一日を大切に生きていこうとおもいます。どうかあなたさまにおかれましても、御身ご自愛くださいますように。〉

この方は３年前私家版の表現歌集を贈ってもらったＳさん、市井のひとです。９０歳を前にして、これまで折にふれて書かれた短歌や俳句に詩、小説・散文を一冊にまとめたもので、
〈老い盛り果てて背丈のちぢみ来ぬ春光さけて日陰を歩む〉
〈物みなに影ありときく目覚むれば昼寝の夢は影絵のごとし〉
など、印象にのこっていましたが、
とくに気に入ったのが歌集の表題、『呼吸（いき）ととのへり』でした。
新年がおだやかな年でありますように。

米沢慧
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   <title>ＮＨＫオンデマンドのお知らせ</title>
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   <published>2008-12-03T08:34:21Z</published>
   <updated>2008-12-03T08:41:03Z</updated>
   
   <summary>ＮＨＫの過去の番組がいつでも見れるサービス「ＮＨＫオンデマンド」のサービスが12...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.naito-izumi.net/">
      ＮＨＫの過去の番組がいつでも見れるサービス「ＮＨＫオンデマンド」のサービスが12月1日より開始となり、いづみ先生が出演した「こころの時代」がご家庭でいつでもご覧いただけるようになりました。
      <![CDATA[サービスを利用するにはまず以下のリンクからＮＨＫオンデマンドのホームページをたずねて下さい。

<a href="https://www.nhk-ondemand.jp/index.html" target="_blank">ＮＨＫオンデマンドのホームページ</a>

そしてトップページの右上にある検索窓に

「こころの時代　内藤いづみ」

と入力すると番組がヒットします。

ぜひご覧下さい。]]>
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   <title>河口湖の紅葉</title>
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   <published>2008-11-18T08:48:49Z</published>
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      <![CDATA[<img alt="081118_02.jpg" src="http://www.naito-izumi.net/images/081118_02.jpg" width="240" height="196" />

友人の招きにより、河口湖の久保田一竹美術館の催しに。

屋外オペラコンサート。

女神をテーマの歌。

辻が花の衣装を来た、歌姫の声が紅葉の中に響いた。


<img alt="081118_03.jpg" src="http://www.naito-izumi.net/images/081118_03.jpg" width="240" height="196" />

すばらしい紅葉でした。

週末はたぶん混雑しすぎかもしれません。]]>
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   <title>進化系の女たち</title>
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   <published>2008-11-18T08:40:43Z</published>
   <updated>2008-11-18T08:48:08Z</updated>
   
   <summary>結婚後、夫の故郷の英国に渡った内科医の内藤いづみさんは現地で学んだホスピスを日本...</summary>
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      結婚後、夫の故郷の英国に渡った内科医の内藤いづみさんは現地で学んだホスピスを日本にも広めるために一家で帰国。一九九五年に甲府市にクリニックを開業し、在宅ホスピス医として「その人らしい命の最期」を支え続けてきました。
      <![CDATA[<img alt="081118_01.jpg" src="http://www.naito-izumi.net/images/081118_01.jpg" width="400" height="395" />

<strong>命の灯火に必死で向き合って
最期まで生ききるための医療</strong>

　末期癌などで積極的な治療ができない段階になった時、延命のためにいくつもの管につながれ、病院のベッドで痛みと孤独に苦しみながら亡くなっていくーそんな日本の医療の現実に疑問を抱き、「最期は自宅で」と望む患者と家族を全力でサポートする医師、内藤いづみさん。生れてくる命に手を貸す助産師がいるように、命の最期に寄り添い、心の通った看取りを行う在宅ホスピスの専門医として、安らかで幸せな死を迎えるための、その人らしく豊かに命を生ききるための医療活動の実践に取り組んできた。

「最新の治療によって痛が治る患者さんもいますが、治らない進行期を迎える方々も少なくありません。もちろん家族が一分一秒でも長く生きてほしいと願うのは当然のこと。

今、末期癌の痛みはモルヒネなどの適正な使用でほぼ緩和できますから、私は医療者として、関わった患者さんの身体的な痛みだけは最低限、取り除いてあげたい。でも、患者さんが心の痛みや社会的な痛み、魂（スピリチュアル）の痛みを乗り越えて安らかに旅立っていくためには、家族や医師、看護師など周囲で支える人たちが、その昔しみに向き合って共感し、最期の瞬間まで一人の人間として尊重することが大切です。自宅で最期を迎えるには、医療の専門チームの存在とともに、患者本人の意思と家族の覚悟が必要ですが、人間には本来「死ぬ力」も「看取る力」も備わっているはず。皆で力を合わせて自然な臨終を迎えられた時、決して死は医療にとっての敗北ではありません」

　内藤いづみさんは一九五六年、山梨県の六郷町（現・市川三郷町）で生れた。教員だった父の義太郎氏と母の富士丸さんは、教職員組合の幹部として活動を共にしていたが、一九四人年の結婚を機に退職して魚屋を開業。店を発展させながら、義太郎氏は三十人歳の若さで町の教育委員長を、富士丸さんは町の商工会の中に女性部を設立して、のちに初代婦人部長を務めるなど、二人そろって社会的な活動にも積極的に取り組んでいた。

「私が幼稚園児の頃、同居していた祖母が自宅で亡くなり、その後、母が乳癌を患いました。その時の『命って何なのだろう？』という幼いなりの疑問が、私の原点かもしれません。本を読むことと外国語の勉強が大好きな文系少女でしたが、『人の生死に関わるやりがいのある仕事、人の心も体も丸ごと引き受ける仕事がしたい』と思い、医者を目指すことに決めたのは中学生の時です。女性の自立、男女平等をモットーとする両親の下で育った私は、母のように家庭と仕事を両立させる人になると決めていました」

<strong>一人ひとりの豊かな命の輝きを
明日につなげるために力を尽くす</strong>

　いづみさんが高一の時、四十九歳の義太郎氏は脳溢血で倒れ、急逝した。突然、改装間もない店舗と大勢の従業員を託されることになった富士丸さんは、夫の四十九日を機に五十歳で運転免許を取得。小型トラックで仕入れに駆け回って商売を続け、いづみさんと四歳下の長男を育てた。

「私は福島県立医大に進みましたが、人間を臓器に分割して知識を徹底的に叩き込むだけで、人間を人間そのものとして見る視点がない授業には違和感を持っていました。学生たちの関心も最先端の医療や研究に向けられ、命や心の問題を語り合える仲間もいませんでした。卒業後、東京の三井記念病院での二年間の研修を経て、東京女子医大病院の内科医となりましたが、『これが私の志した医療なのだろうか』という疑問は大きくなっていくばかりだったのです。死に向き合った患者さんの痛みを理解し、寄り添うための医療は教えてもらえず、どうすればいいのかわからない私は、ただオロオロするだけ。週刊誌で作家の遠藤周作先生（故人）の『心あたたかな病院がほしい』という文章を読み、思いを綴った手紙を送ったのは、この頃でした」

　いづみさんは一九八五年、学生時代に知り合って以来、文通を続けていた英国人のピーターさんと結婚。ピーターさんは当時、石油会社の地質調査官として日本に派遣されていたが、翌八六年、英国本社への転勤が決まった。

「私は学生時代から、結婚相手は、危機に見舞われた時に、その人を信じて一緒に逃げられる人でなければ、と思っていました。私と大病院の御曹司との結婚を画策した母のために、お見合いも三回ほどしましたが、頼りないお坊ちゃんばかりだったから、わざと断わられるように振る舞ったんです。（笑）それまでの私は、母が望むように歩んでいたからピーターとの結婚を大反対されたし、彼と渡英すると言った時は本当に悲しそうだった。でも、医療に対する閉塞感や失望感でいっぱいだった私は、ここで一皮、人生を白紙の状態にしてみようという気持ちだったんです」

　いづみさんが夫の故郷、英国北部スコットランドのグラスゴーで暮らし始めた頃、近代ホスピス発祥の地である英国ではホスピスを立ち上げるムーブメントが盛んだった。

「私は渡英二年目に長男、四年目に長女を出産し、子育てをしながら、ボランティアの非常勤医師としてホスピスでの研修を続けました。そこで目の当たりにしたのは、日本なら病院のベッドで寝たきりの末期癌の患者さんたちが、ホームドクターとスペシャリストナース、地域のボランティアに支えられ、自宅で幸せな最期を過ごしているという現実。やっと自分の目指す医療に出会うことができた私は、もう一度、日本の医療の第一線で働きたい、日本にもホスビスを広めるための社会的な行動を起こさなくては、という思いがどんどん強くなっていきました」

　いづみさんの熱意を理解してくれたピーターさんは転職を決め、一家四人は九一年に帰国。いづみさんが中学、高校時代を過ごした甲府市に居を構えた。市内の病院に勤めたいづみさんは翌九二年、有志と「山梨ホスピス研究会」を発足させ、九三年には次女を出産。九五年に拠点となる診療所「ふじ内科クリニック」を開設して院長となり、在宅ホスピス医の活動をスタートさせた。

「院長といっても、クリニックの医者は私一人きり。午前中は外来診療をして、午後から往診に回りますが、二十四時問体制となる重症の末期患者さんを在宅ホスピス医として診られるのは二、三人が限界です。医師会にも入らないはみ出し医者の私は、自由な立場でかなり大胆な発言もしてきましたが、地位も名誉もお金もない。『日本一貧乏な医者』って言われていたこともあるんですよ」（笑）

　地元の大学で英語を教え、翻訳の仕事もしながら、今では家事やご近所付き合いも山梨弁も達者にこなす夫と、それぞれの個性を発揮し、巣立ちの季節を迎えている三人の子どもたちがいてくれたからこそ、責任の重い「命の最期の日々に全力で寄り添う仕事」に打ち込み、たくさんの感動や希望を受け取ってこられた。命のメッセージを届けるため、激務の中でも時間をやりくりして全国各地から声がかかる講演に赴き、元文学少女で筆まめの力量を生かして著作も多数。大人が真剣に命と向き合う姿を子どもたちに伝えることが教育の第一歩と考えて山梨県教育委月を引き受け、父と同じように教育委貝長を務めたこともある。

　父と母に学んだ「考え続けること」「諦めないこと」「実践すること」「伝えること」を心に刻み、内藤いづみさんは、一人ひとりの「豊かな死」を「明日の輝く命」につなげ、社会全体が安心して最期を過ごせるホスピスとなることを願って、力を尽くし続けている。

命は最期の一瞬まで「生きたい」と願うようにつくられているし、いかなる時にも、成長を続ける力が与えられている。私は心から、それを「希望」と呼びたいのです。

ミセス１２月号より抜粋]]>
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   <title>季節の写真（2008年11月）</title>
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   <published>2008-11-17T02:35:59Z</published>
   <updated>2008-11-17T02:41:50Z</updated>
   
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<img alt="081117_04.jpg" src="http://www.naito-izumi.net/images/081117_04.jpg" width="400" height="280" />

<img alt="081117_05.jpg" src="http://www.naito-izumi.net/images/081117_05.jpg" width="400" height="283" />

<img alt="081117_06.jpg" src="http://www.naito-izumi.net/images/081117_06.jpg" width="400" height="285" />

写真提供　上原重雄様]]>
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   <title>開催報告　2008年10月27日　在宅ホスピス研究会</title>
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   <published>2008-11-17T02:28:48Z</published>
   <updated>2008-11-17T02:35:32Z</updated>
   
   <summary>4回シリーズの在宅ホスピス研究会は、おかげさまで10月27日に最終回を迎えました...</summary>
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      4回シリーズの在宅ホスピス研究会は、おかげさまで10月27日に最終回を迎えました。ここでは参加者からのおたより、そして鈴木秀子シスターからのおたよりからレポートいたします。
      <![CDATA[<img alt="081117_01.jpg" src="http://www.naito-izumi.net/images/081117_01.jpg" width="320" height="240" />
<strong>鈴木秀子先生のお話を聴いて</strong>

はじめに、この機会を頂けたことに心から感謝しております。
私は、認知症の症状をもつお年寄りと関わる仕事をしています。
どの方も天国の扉を開くまで、個人個人の物語は続いておられます。
生きて生きて生きておられます。

先日、施設で暮らす95歳の女性が、「東京ラプソディ」を歌い終えると、にこやかに微笑み・・・
「嬉しくて、悲しくて、涙が出るの。近いの。近くになっているのが分かるの。私のことを覚えていてね」と涙を流し始めました。私が、

「ずっとずっと覚えていますよ。死んでも覚えています」

と言うと。笑いながら、

「嬉しい。天国逝ったら、おせんべい、ちょうだい。頑張って頑張っているから大丈夫」

と皆を温かなユーモアで包んでくださいました。

私は施設におられる方との出会いを通し、人生のフィナーレを迎える方々と関わる尊い仕事をしていることを実感します。

いつも怒る方、いつも悲しんでる方、悲しすぎて手を上げる方、不安すぎて人を責める方、様々です。皆、認知症の症状を与えられ、自由に感情をやっと吐き出すことができるようになれました。そのような方々と私は日々自分自身と相手と向き合い続けています。命、魂、と出会う仕事は、尊いものを頂けます。そして同時にエネルギーを使います。疲れ、自分の心がカラカラになることもしばしばです。
<img alt="081117_03.jpg" src="http://www.naito-izumi.net/images/081117_03.jpg" width="320" height="240" />
しかし、疲れた心、傷ついた心をケアしていくことは、個人個人がしていくこととして重視されていないのが現状かもしれません。「相手と向き合う」「相手をもっと知ろう」そんな言葉を聞き、相手と向き合おうとするあまり、「自分自身との向き合い方を知ること」や「自分の心の声を聴くこと」を忘れてしまいます。

人と心の声を聴き、自分の心の声にも耳を傾けることの大切さを、鈴木秀子先生のお話から感じました。

鈴木先生は、深い意味で「自分を大切にすること」「命を頂いていることに感謝すること」が大切だと教えてくださいました。

「一番は自分を大切にすること。命と向き合う仕事は尊く素晴らしいけれど、親権になればなるほど、エネルギーを使います。だからこそ自分の心に良いエネルギーを送りつ続けていくことが必要です」

と優しいメッセージを下さいました。

今回は脳科学の視点から良いエネルギーの溜め方を教えてくださいました。どんな時も自分のッ心との対話で良いエネルギーは満ちてくる、スピリチュアルなパワーを鈴木先生から優しさと共に頂きました。

人はみんな、大きな大きな愛に包まれて生かされていること、思いやりと敬意をもって人に関わること、良いエネルギーを自分の中に満たすよう常に心がけていくこと、そしてそれができると信じること。必ず大きな存在が側で見守り支えてくれていること。それらを、今日、学びました。

全先生方の優しさと強さ、エネルギー、会場の方々のエネルギーで、私の心は良いエネルギーと優しさに包まれました。専門知識、技術、心、どれも専門家にとって大切で、高めていきたいと思いますが、今日はプラスして、自分もケアしていくことを加えようと思います。自分にも思いやりと敬意をもっていきたいです。

これからも、前へ勇気をもって進んでいこうと思います。先生がおっしゃったように、必ず大きな存在がいつも誰にでもついて見守って下さることに感謝しながら・・・。
このような学びの時間を頂き心から感謝いたします。
<hr>
<strong>鈴木秀子シスターからのおたより
</strong>

<img alt="081117_02.jpg" src="http://www.naito-izumi.net/images/081117_02.jpg" width="180" height="240" align="left"/>素晴らしい講演会に参加させていただきまして、有難うございました。学ぶことが多い、密度の濃い時間を過ごさせていただきました。内藤先生の穏やかな語りかけが、緊張しながら会場に入ってくる一人ひとりを和ませていました。

私をも温かくお迎えいただき、講演しやすいように、細やかに準備してくださり、とてもよい雰囲気で楽しかったです。

一緒に行った人たちが、在宅ケアという大変なお仕事を、内藤先生を中心に皆様で進めていらっしゃるご様子を拝見して、大きな刺激を与えられています。

方々飛び回っていて、お礼が遅くなりましたが、その間いつも先生のことを想い、心からの感謝を込めて、お祈りをお捧げしておりました。とくにご丁寧なお言葉を頂戴し、恐縮しながら、うれしゅうございました。

お寒さだんだん厳しくなってまいりますが、どうぞご大切になさってくださいませ。
]]>
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   <title>往復書簡（米沢慧様）Vol.3 復</title>
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   <published>2008-10-31T06:12:17Z</published>
   <updated>2008-10-31T06:39:10Z</updated>
   
   <summary>米沢さんへ 今日は快晴、秋晴れです。猫のようにひなたぼっこしたい気持ちです。 お...</summary>
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      米沢さんへ
今日は快晴、秋晴れです。猫のようにひなたぼっこしたい気持ちです。
お便りありがとうございました。
      <![CDATA[緒形 拳さんの死は、ターミナルケアを日常的に行っている私の目からみても“あざやかなエンディング”と思いました。同時に、あの結末までに緒形さんの生き方を支えてくれる医療チームとご家族の力の大きさをその背景に感じました。

病を得ると（重病であればあるほど）どのような最後の日々を送れるかは、いくら綿密に考えても自分の計画通りにはいきません。いのちのあり方は、予想不可で不思議な展開を起こします。人知で左右できるものではないなぁと。

私がご老人の参加の多い講演会で、見事に生き切った患者さんの人生をお伝えすると、講演後に

「先生の患者さんになります。ぜひ、あんな大往生にして下さい。」

などと申し込みに来る方がいます。

「そうできるかは、今お約束できないのです。もちろん、ご本人も家族も私たちも、安らかに過ごせるように最大限の努力をしますが、最期の息をどのように引き取るかは、まさに神のみぞ知る、なんです。」

などと答えますと、ポカンとする方もいますし、

「私は真面目に働き、家族も大切にして、且つ、人に奉仕する人生を送ってきた。それに値する最期をむかえられんのか！」

などと怒りだす人もいます。確かにお怒りはもっともですが・・・。


昨夜は自分が自主企画する、連続在宅ホスピスケアセミナーを開催しました。
“いのち”を考えるセミナーです。同時に、医療者の実践力も養いたい。そんな欲張りな私の思いを込めたセミナーです。（参考にプログラムを添付しますね。）

４回目の講師は、鈴木 勉さんという、モルヒネを安心して使いこなせるための基礎的研究を進めて下さっている薬学博士。力強いお話でした。

もうおひとりは、鈴木秀子シスターでした。鈴木シスターとは、遠藤周作さんという文学者を通じて２０年以上前から知り合いでした。直接お会いするようになったのは最近ですが。

結核を始めとして多くの重病を乗り越え、医療者の辛さも患者さんの辛さも知り抜いた遠藤さんは、昭和５６年頃から『心あたたかな医療をつくる』キャンペーンを始めていました。私はその運動に賛同し、お会いすることができて、それ以後教えを乞う（押しかけ？）弟子を自認していました。「自分の最期はこうしてほしい」と遠藤さんは作品でも講演でも表明していました。

確か、人工呼吸器などをつけることなく、余計な延命処置はいらない。痛みや苦しみを緩和し、安らかに看取ってほしい、ということでした。<strong>エリザベス・キュブラーロス</strong>のこともいち早くご存じで、よく勉強されていました。しかし、大学病院での最期は、「おやじの最期は壮絶でした。」という息子さんの一言に表わせられる辛い、厳しいものでした。奥様の順子さんはその後、『夫の宿題』という本を出してその時のことを詳しく伝えています。昨夜の講師の鈴木シスターは、周作先生の最期の日々に同席できたおひとりでもあり、看取りのお話も伺えました。「俺の話もたまにはしてくれよ！」とお茶目に笑う周作先生の顔をふたりで思い浮かべ、久し振りにお会いできたような気持ちになりました。

あれほどの影響力があり、たくさんの場で発言してきた大文学者の最期も、誰も予想できない形となりました。その苦しみを通じて、私たちに大きないのちのメッセージを先生は下さったのだと思っています。

存じ上げている渡辺和子シスターは、幼い頃、２．２６事件で政府高官だった父親が、１ｍ前で惨殺されるのを目撃しました。誠実な生き方をしてきた尊敬する父のそんな死に方を見て、”人生の不条理“を感じたと著作にあります。それがシスターを神に近づけたのでしょう。本当に人生は不条理の連続です。だからこそ、「ありがとう、さようなら。」と言える最期をむかえることのできた患者さんに、心から「良かった。お幸せでしたね。」と私は申し上げたいのです。

ところで、「エネルギッシュによく活動しますね。おまけに子供も３人お育てになって・・・。」などと褒められる時があります。とんでもない。家庭運営は夫の大きな協力あってのことですし、「子どもたちはこの親の元でよく育ってくれた」と考える毎日で、色々と子育てに協力してくれた方々に感謝するしかありません。そんな私もがっくりとエネルギーを消耗する時ももちろんあります。

先日は大きな仕事がとても重なる日がありました。エッセーに書きましたので、その一部をやや長くなりますがここで紹介しますね。
<hr>
～重なる日～

<strong>在宅ホスピスケア</strong>の啓蒙と実践を始めて約２０年。<strong>がんの痛み、特にトータルペインの緩和</strong>などの私のホスピスケアの実践力もついたのか、いや、それは自信過剰かもしれません。しっかりと自分の人生を歩む覚悟の患者さんが増えたのでしょう。
全身にがんが転移しているのに、ぎりぎりまで元気に明るく私の外来に通って来る方がこの頃多いのです。病気はあるけれど、病人にはなっていない感じがすごいなぁ、といつも尊敬します。
私はプロフェッショナルとして、安定期でも冷静に患者さんの病気の進行を観察して、大きな突発的なことが起きないように見守っています。しかし、先日は半日の間に、３人が具合悪くなったのです。
ターミナル期（いのちの終末期）というか、危篤に近くなりそうだったので、各々の事情や希望を考えて対応する必要が生じたのでした。
ふたりへの対応が終了したのが夜中過ぎ。さて、ひと休みしようと思い、眠りにつくと、すぐに枕元の携帯が鳴りました。そのふたりの担当とは別の訪問看護ステーションの看護師からでした。私の在宅ホスピスケアは、私ひとりでは成り立ちません。
私の仕事を理解して、実力もあり、共に２４時間体制で働いてくれる看護師の集団―訪問看護ステーションが必要です。私の住む各地域にそんなステーションが少しずつ増えてきました。その電話では、その看護師が担当の８３歳の患者さんの呼吸がおかしいと言うのです。昨日の往診の時はいつもと変わりなく、小康状態でにこにこと話をしていましたから安心していました。この患者さんは、前立腺がんの全身転移でした。

「先生、すぐ来て下さい。」

「分かりました。」

夜中の緊急コールにはタクシーで駆けつけることにしているのです。まだ寒くはないけれど、星空の下でタクシーを待ち、乗り込みました。午前2時をすぎていました。さすがにハードな一日で、座席に身を沈めると、心臓が痛いような気持ちがしました。２４時間の責任の重さと、体力的な消耗感に辛くなって「神様、これ以上私には担いきれません。許して下さい。」

などと祈ってしまう弱い自分を自覚した瞬間、タクシーの運転手さんが声を掛けてきたのです。

「内藤先生ですよね？夜中にお疲れ様です。１０年前に、先生の外来へがん患者さんを何度も送りました。６０歳位の患者さんでした。がんが進行して重そうでしたが、明るくて、元気な女性でしたよ。言ってました。

『内藤先生がいてくれるから、私は安心して死ぬ日までしっかりと生きていける。』

って。とても感謝していましたよ。」

その患者さんの顔がすぐに浮かんできました。小田さんでした。(仮名)弱音を吐きそうになる私に、「先生、ファイト！」と応援しにきてくれたかのように感じたのでした。８３歳の患者さんはその夜静かに息を引き取りました。もうひとりの重症の患者さんも翌朝亡くなり、重なる日となりました。

疲れの中で、小田さんのことが色々と思い出されました。小田さん（６５歳）は、家と夫を支えてきた働き者の女性でした。口の中にできたがんを自分で見つけたのでした。初めの頃の入院で、同じ病気の重症の患者さんの様子をよく見ていました。

小田さんは冷静な女性でした。「隣のベッドの人は、あごの骨をほとんど全部手術で取ってしまっていました。食事もすり鉢でご飯を擦って、小さな耳かきのようなスプーンで少しずつ喉の奥に運んでいました。彼女の病気と闘う強さを私は尊敬しました。私は初めての手術で、少しだけ骨を削ることで済みましたが、もし病気が進行して、あの患者さんのような大きな手術を受けることを勧められたら断ろうと思っています。苦しみを取ってもらって、なるべく今の状況で過ごせたら幸せなんです。ただ、夫と娘を説得するのがちょっと大変かもしれません。ほんの僅かでも治療の可能性があるのなら、挑戦してほしいと家族は思っています。
でもね、自分の人生だから、自分で決めたい。もしいのちに限りがあるのなら、大きな手術とその後のああいう苦しさは、私は嫌なんです。内藤先生とも知り合えたし、最期にお世話になる<strong>ホスピス</strong>にも紹介して頂けたから、もう大安心なの。これで幸せ。」
そう言って、心配するご主人や娘さんに笑顔を見せました。

医療が変化し、医者も以前よりよく説明してくれるようになりました。

「病気が進んだら、あごの骨などをもっと拡大して取る手術をすれば、しばらく何とかなりますよ。」そう説明を受ければ、患者さんや家族は「よろしくお願いします。」と受け入れてしまう心境になりやすいと思います。
しかし、骨を取ってしまってからのことは、実際は想像できないのです。日々の食事のこと、家での過ごし方、外出の時の工夫など。小田さんは、その様子を実際の体験中の人を見て学び、自分のひとつの結論に達したのでした。日頃、医療現場では医療的な説明の後、その結果と現実を伝えることはあまりされていないように思います。そこまでインフォームド・コンセント（説明と同意）は進んでいないのかもしれません。
皆さんが重病になり、「２４時間の点滴をしますか？」と聞かれたらどうしますか？酸素吸入は？人工呼吸器は付けますか？食べれなくなったら胃ろうという、胃に穴を開け管を入れて流動物を定期的に流し入れる栄養補給法を受け入れますか？それぞれプラスの点はたくさん説明されると思いますが、いざ、それを始めたらどうなるのかは、未体験ですからよく分からないのではないでしょうか？それを体験している人たちの様子を実際に見させて頂ければ一番理解できると思います。

何がプラスで何がマイナスなのか。これらはいのちの長さをもたせる重大な選択なので、一度始めると中止することは難しくなります。

小田さんは、ご主人と一緒に外来で私と話をして下さり、それが私の２冊目の本、『ホスピス　最期の輝き』（オフィス エム刊）に載っています。１１年前のことです。その一部をここに載せます。

小田さんはいつも明るく、おしゃれで素敵でした。
「内藤先生、末期になって希望するのは、きっと最新医療ではなく、人の温もりだと思うんです。どんな時も傍にいて、優しくしてもらいたいのです。もちろん家族が一番だとは思いますが、今の時代は色々な事情でできない家族も多いですね。私のうちは、娘は小さな子供をかかえているし、夫も激務だから、その時がきたら私は自分自身で<strong>ホスピス</strong>と決めたんです。」

こうして彼女は<strong>ホスピス</strong>の存在を知ったから、その道を選ぶことができたのです。知るということは大きな力です。

ところで若い頃の私はかなり熱かったのです。上司の言いなりになり、患者さんのためになることを自分の頭で考えない後輩医師をみると、すぐにカッカと頭にきました。
「個として自分の頭で考えてみてよ。魂を磨いてよ。保身とか出世も大切かもしれないけれど、患者はあなた方を頼りにすがってきているのよ。もっと真剣に相手の生命を考えて下さい。患者さんは浮かばれないでしょう、こんな扱いじゃあ！」
と怒鳴って、人知れず何度も机をドンドン叩いたこともあります。
『浮かばれない』という言葉を、勉強不足を承知で敢えて言わせて頂くなら、『成仏できない』ということでもあると思うのです。尊敬する宗教家の古川泰龍師もおっしゃっているように、限りある生命だと一旦諦め絶望することにより、私たちの一瞬の生に無限が宿ると悟れるのではいかと思ったりします。

もし、偽物の告知や中途半端の心ない扱いを受けて、宙ぶらりんで自分の生命のゆく末を不安と希望のシーソーゲームで費やしてしまうとしたら、その人は最期に至って、「こんなはずではない！」という絶叫の中で、たくさんの思いを残して旅立たねばなりません。医療者の関わり方は本当に大切です。小田さんは最期の一ヶ月を自分の選んだ<strong>ホスピス</strong>で過ごしました。
お見舞いに行くと、最期まで私の知っている温かな笑顔がありました。

末期患者さんにとって残された時間はとても貴い。患者さんの状態を総合的に把握し、適切な助言を与えられる立場の医師が告知できず、相手のためにより良い支援をできないということは、哀しいことだと改めて思います。真実があまりにも残酷な時、それを告げないことが相手に対する思いやりだと私たちは教えられ信じてきたけれど、果たしてそうだろうか？と当時の私は悩みました。

少なくともその真実はわたしたちのものではなく、患者本人のものである、ということから出発すべきではないだろうか、と。私の尊敬する<strong>ホスピスケア</strong>のトップでもあるイギリス人のトワイクロス博士がこうおっしゃっています。

〈真実は二つの顔を持っている。厳しさと優しさだ。そして患者はいつでも優しい真実の方を好む〉

どうやって優しい真実を告げていくのか？真の優しさとはなんだろう？
医学教育の現場で私たちはコミュニケーションの方法も、また告知についての真剣な取り組みも学ぶことは充分ではありませんでした。

小田さんとの出会いから10年がたちました。10年前少なかった告知は、今や大原則になりました。１０年でこんなに世の中は動くのですね。しかし、患者さんを支えるための告知になっているのか、優しい真実を伝えられているのか・・・と、疑問に感じる時も多いです。特に、余命「後１ヶ月」「後３ヶ月」などとストレートに伝えることは、生きる希望を奪い、患者さんを追い詰めることになると私は思います。
人生は気力によってかなり違ってきますから―。その人の残された寿命など、たとえ医師でも、正確に分からないのではないでしょうか？

私の外来では、紹介状に書いてある余命の予測より、ずっと長く小康状態でお過ごしになる方が増えています。『今を生きるという希望』<strong>ホスピスケア</strong>はそれを支える仕事であることを自覚します。「希望」について次回語れたらうれしいです。

つい、長くなってしまいました。
次のお便りの時は初冬ですね。
お体に気をつけてお過ごしください。

内藤いづみ]]>
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   <title>往復書簡（米沢慧様）Vol.3 往</title>
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   <published>2008-10-31T06:02:56Z</published>
   <updated>2008-10-31T06:10:29Z</updated>
   
   <summary>内藤いづみさま ●今月は緒形拳さんの死についての感想から始めたくなりました。 中...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.naito-izumi.net/">
      <![CDATA[内藤いづみさま
<strong>●今月は緒形拳さんの死についての感想から始めたくなりました。</strong>
中秋の名月を眺めながらいつか、山中湖あたりをゆっくり歩きたい…。
けれど今年もその機会がなくなったなあ、と都内の病院から深夜友人の遺体を見送りながら月を追いかけていました。]]>
      <![CDATA[大学時代からずっと親しく、家族的にも経済的にも恵まれませんでしたが、いつも自分のことより人への配慮を忘れなかった男でした。最後まで仕事をし見舞いにきた私を激励し亡くなったのは10月６日夕方（前立腺がん）。看取りから通夜、葬儀と続いた一週間は久方ぶりの旧い仲間との密な温かい時間を過ごしました。

こんな私事を枕にしたのは、俳優緒形拳の死（10月5日・享年71歳）が友の死と重なって印象深いものになったからです。

亡くなる数日前に遺作となったドラマ「風のガーデン」の記者会見を観ましたから急逝だったわけです。
緒形さんは８年ほど前から肝炎をわずらっており、５年前に肝がんに移行。家族以外にはそのことを一切口外せず本人の強い意思で入院治療もしないで、役者として全うしたということです。

つまり、その間緒形さんは病気でありながら闘病の姿をだれにも見せなかった、患者の暮らし方をさいごまでしなかったということ。

さらに終末期、いわゆるキューブラー・ロスの「死とその過程」もなかったようにおもえたこと。この二つの事実に衝撃と感銘があつまったようにおもいます。

その後も追悼番組でドラマ「ディアフレンド」「帽子」も再放送されました。いずれも老いを演じた優れた作品でしたが、これらを観ながら、わたしは役者緒形拳が口にした「病（やま）いる」ということばを探していました。たしか、記者会見のなかだったようにおもいますから、新ドラマの役柄で使われる言葉かもしれません。おもわずハッとして、メモしたのです。

「やま病いる」（「病める」ではなく、）
「病む」や「病める」ではなく、「病い」でもなく「病いる」という表現。

「やまい」を辞書で引く、あるいはパソコンで「やまい」と打つと「病」であり、送りのある「病い」は誤りだといわんばかりに示されません。ですから「病いる」など引き出すことはできません。

しかし、わたしに言わせれば、病と病いは同じではありません、ちがいます。英語でいえば前者はdisease、後者はillnessでしょう。

「病」「病い」「病いる」。

わたしは語源的にこだわったのではなく、「病いる」を自己表現として、意思的な強いことばとして聴いたのです。俳優緒形拳の死はその言葉と深く関係しているのではないか、そう思えたのです。

では「やま病いる」とは何でしょうか。
「病いる」は「老いる」と同じ響きをもったニュアンスをつたえることばではないか、そうおもいます。ここで「老いる」とは、体が衰えていく、老化していくという意味ではありません。「老いる」とは「老いをいきる」ということばです。老いに抗うとか老いと闘うというのでもありません。

同じように「病いる」とは体が病んでいくことではありません。また、患者として病気に抗うとか、がんと闘うということでもありません。誤解をおそれずに言ってみます。病気を健康に受けとめること、つまり「病いをいきる」ということばだったのではと。

緒形さんはそのような受けとめ方をした人ではないか、そんな思いがしたのです。

関連して思い出した本があります。自らの乳がん体験から言葉でがん病に挑んだスーザン・ソンタグの名著『隠喩としての病い』（1978）です。その冒頭で、「この世に生まれた者は健康な人々の王国と病める人々の王国と、その両方の住民となる」といい、人は誰しもがずっと健康な王国の住人でいたいとおもうけれど、早晩、好ましからざる病める人々の王国の住民として登録せざるを得なくなるといったことを述べています。

ここで「病者の王国に移住する」とは立派な病名（がん）を手にした人が患者として医療施設と医学用語の世界の住人になってしまうことです。だから、住人は一日も早く治癒して、つまり患者の肩書きをすてて健康な人々の王国へもどりたいと願うものだといっています。けれど、がんのような病気は肉体の病気としては治ったようにみえ、いそいで健康な国に帰還しても、どこかで死を隠し持つ言葉のあや（隠喩　メタファ）に悩まされて、なかなか真の健康の王国のパスポートを再発行してもらえないものだ、といっています。

では「健康に病気になる」手だてはないでしょうか。とりあえず、それはあるとスーザン・ソンタグはいうのです。まず、隠喩がらみの病気観を一掃すること。そして、病者の王国の住民となりながらも、それに抵抗することだといっています。

わたしはそれ以外にもう一つあるようにおもいます。それは病気と抗うことなく自らの健康な国を思い描きながら、病気の国の概念（医療用語）や患者の世界（病棟）から解放される三つ目の国を歩む生き方です。それも「健康に病気になる」方法かもしれないと考えています。とりあえず、ここで思い描く社会を「寛解の王国」と呼んでみます。病気が小康状態にあるというときの医療用語remission、「寛解」あるいは「寛解期」を転用させてみたのです。

長寿社会は三人に一人が一生に一度はがんにかかる。だれもがいつかは必ずがんとかかわることになりましょう。がんは死に至る「病」ではなくて、ともに生きる「病い」になります。ですから、「やま病いる」とは「寛解の王国をいきる」という生き方ではないか。そうおもいます。
緒形さんは、あるテレビ番組で生き方と演技芝居がひとつになる話を、こんな言い方でまとめていました。

〈芝居とか映画は現実の世界とちがい、いいかげんな、どうでもいい虚構の世界だからこそ、本気でやらないと虚構がドラマにならない…。でも、この歳になって老いの演技を考えると、演技することが演技しないことにつながるのではとおもうようになった。緒形拳という役者はヘタだねえ、下手になったねえといわれるようになるのが、わたしの理想（笑い）…〉

（10月14日　記）

<strong>●幸せ度をチェックする嗜みについて</strong>
さて前回、患者さんの「幸せの３箇条」を披露され、併せて「私の幸せ度」を教えてください、という注文をもらいました。たしかに私たちの書簡テーマは重くなりがち、今回も冒頭から「病いる」にこだわってしまいました。読んでいただく方にはつらい話になってしまいました。
そこで気分をかえて、なんとか応えて、以下話してみようとおもいます。

会社勤めという経験は１０年もありませんでしたから、自由業（その日暮らし）はもう３０年。フリーランサーという誇りを盾に、飢える自由も十分味わってきました。そんな日々のよろこびや、ハッピーな気分を、ひそかに「今日の幸せ度はゆで卵一個」とか「ゆで卵３個」という指標をつくって乗り切ってきたんです（笑い）。

なぜ、幸せ度を「☆ひとつ」とか「☆☆☆みっつ」とかにしないか。簡単です。わたしには一番美味しく、光かがやく食べ物は卵。とりわけきれいに殻をむき傷ひとつない白い光沢と匂いがひとつになった「ゆで卵」は至福の姿を象徴するに十分だからです。

戦後間もない子どもの頃、隣の家の鶏が卵を産み落とすのを待ち続け、そっと手のひらで受けとめると、針で卵に穴を開け、口をとんがらせてちゅうちゅう吸って食べて以来、いつか心ゆくまで卵を食いたいとおもったものです。東京に出て最初にした贅沢も、八百屋で一皿１０個１００円をゆで卵にして黙々と食べたことでしたし、新婚ほやほやのころ幸せを確かめるように、妻は毎日私のために卵入り弁当をつくり続け、ついには卵アレルギーの湿疹で皮膚科に通ったこともありました、幸せ度は変わりませんでしたよ。

三段重ねの重箱で、蓋をあけると上段はのり太巻きがならび、中断には卵焼き、最下段はゆで卵の縦列帯。これがわたしにとって「ご馳走」という至福の原型です！

幸せ度「ゆで卵度」とは、生きていてよかった！　いま、ここにいることの喜びと安心！　共にあることへの共感！　つまり、人生を肯定できるささやかな指標ということですね。こんな「ゆで卵度」はどうでしょうか。

<strong>①オムライスが「うまい」といわれたとき</strong>
小学２年生のサッカーボーイ（孫）が「おじいちゃん、いつものアレつくって」と最近は一週間に一回バターと卵２個を手にしてオムライスを私に直訴する。これに応えるよろこび。でも「もう、飽きた」と言われるのが恐いので、「試合に勝ったときだけにしないか」と提案。すると日曜日、公式戦２連勝して、大盛りを要求されました。

<strong>②ロッシュとの散歩</strong>
鹿児島生まれ、長野県育ちのドイツ種ミニチュア・シュナウザー。雌犬で六歳と半年体重五キロ。縁があってわが家にきたのは１年半前。机の下で猫のようにまるくなっているが、室内で用を足すところをまだ一度もみたことがない。そのことを誇らしげにしているふうに見え、私もエライ！と評価し、世間にむけては、だからカシコイ！　と。それだけに雨の日はたいへん。多毛犬種でもあり雨合羽を着せても難しく、大樹のしたにびしょ濡れになって駆け込むこともあります。

<strong>③ジョン・デンバーの歌</strong>
ジョンといえば、亡くなって１０年になる。「カントリーロード」とか「緑のアニー」とかだけでなく、癒してくれる曲はいっぱい。７０年代から家族みんなで追っかけてきたので、いまでもお祝いの日、クリスマスにうれしい日は「デンバーさんの曲」がわが家には流れます。そう言えば、すこし前、メディアに「この世にサヨナラするときに聴きたい曲は」と問われて、即座にデンバーさんの「太陽を背に受けて」とこたえたことがあります。

<strong>ホスピス</strong>への遠い道への巨人（<strong>岡村昭彦</strong>、<strong>ソンダース</strong>、<strong>キュブラー・ロス</strong>）との対話はこれから欠かせず長期戦になりそうですね。「でも、私のホームページだから、じっくりやりましょう」というお墨付きをもらったので、課題を残しながら、今回の便りはここまでにします。

次回はご注文をいただいた「患者の権利と<strong>ホスピス運動</strong>」にふれたいと思います。　（10月21日記）]]>
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   <title>最期のときを家族と　今日はおれのおごりだ</title>
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   <published>2008-10-31T05:48:05Z</published>
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   <summary>ダンディーな山下勉さん（58）＝仮名の膵臓がんの病状が深刻になってきた。腸閉塞の...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.naito-izumi.net/">
      ダンディーな山下勉さん（58）＝仮名の膵臓がんの病状が深刻になってきた。腸閉塞の傾向があって、食事はなるべく軟らかいものに限られて味気なく、本人も不満そうだった。
意地悪な主治医の私は、診察の合間に「今、何が食べたいですか？」と聞くと、本人は間髪を置かず「天ぷら！」と返答した。
      <![CDATA[　奥さんが「天ぷらは駄目ですよね？」と心配そうに私の顔をのぞく。「駄目ですね」と私の冷たい返事。
　次の往診時にも同じことを聞くと、「うまい天ぷら」と山下さんはあきらめず答える。

　「うまい？」

　「私が天ぷらが下手で。自分で食べてもまずいなーと思うくらい」と奥さん。

正直でかわいい奥さんだ。山下さんの病状は予断を許さず、いつ昏睡状態になってもおかしくない。

「料理人の友人が、八ヶ岳のふもとにいます。私も付いていくので、行きますか？」
「行く！」と本人が声を上げて決まり。

　重症の人には、今という時間しかないから、すぐ実行に移した。大学生の息子がお父さんを抱きかかえて車で移動。八ヶ岳で友人に頼んだ。「生きていてよかった、と思える天ぷらを揚げてください」（何という厳しい注文だろう）

　友人はまず、野辺山の初採りの立派なアスパラガスの天ぷらを出してくれた。山下さんの目が見開かれた。

　「ゆっくりね」と心配そうな奥さんを無視してパクパク食べた。

　「うまい」

　その声が皆の胸に届いた。たくさん食べて満足し、畳の上にゴロッと横になり、山下さんはスヤスヤと寝始めた。

出来過ぎた話だが、ちょうどその時、料理の修業にそこに滞在していたシスターが近づいてきた。「大切な時間をお過ごしですね。祈りをささげてよろしいですか？」

　皆で山下さんを囲み、手をつないで祈りをささげた。こうして八ヶ岳のそば屋がそのときだけ<strong>ホスピス</strong>の空間になった。

　そんなことも知らず、すっきりと目覚めた山下さんは、お尻の財布をポンとたたいて言った。

「うまかった。今日はおれのおごりだ」

2008年10月27日　産経新聞より抜粋]]>
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