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ありがとうに還る場所


(ユーキャン出版局「やすらぎ通信」2007年春号より抜粋)
ホスピス医・内藤いづみ先生は、たとえ病気になっても、あるいは愛する人が病に倒れても、私たちには自分のいのちをまっとうする力や愛する人を看取る力があるのだとおっしゃいます。本講話は、東京で行われた講話会の抄録です。
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突然の父の死
私は甲府市で小さな診療所を開設し、十五年近くも「いのちの最期」に関わる仕事をしています。今日は皆さまにいのちのお話をさせていただきたいと思います。
 はじめに私のプライベートなことを申しあげますと、父は私が十六歳のときに亡くなりました。夕飯のときに急に脳出血で倒れ、翌日の明け方には帰らぬ人となるという最期を迎えたのです。
 それまで幸せ一杯だった私たちの前から、突然愛する家族がいなくなりました。「人生には予想もつかないことがいつ起こるかわからない。だからこそ私たちは今の幸せを感謝しなければいけないんだ」ということを、そのとき私はかみしめたわけです。
 愛する人を亡くすのは本当につらいことです。ですが、私が人生を歩むうえでは、その体験があったからこそ、遺族のお気持ちやつらさをどのように乗り越えていけばいいのかということが、当事者としてわかるような気がします。
 さて、私が携わっているのは「ホスピスケア」と呼ばれる、主に進行がんの患者さんの体や心の痛みをやわらげる医療です。この言葉のもとになっているのは英語の 「ホスピタリティ」 で、これは「あたたかく受け入れるもてなしの心」を意味します。つまり、出会った方を「いらっしゃいませ。どうぞよい時間をお過ごしください」「あなたに出会えて幸せです」ともてなすあたたかい心のこと。病院だけでなく、学校などの多くの場所でも、この気持ちをもって接することが大切だと思います。
花のように生きたい
では、ご家族に了解を得ましたので、ホスピスケアの仕事を通じて出会った、ひとりの患者さんのことをお話しましょう。名前はハナさん。九十一歳です。ハナさんはある年のはじめにすい臓がんが全身転移で見つかりました。そのとき、ハナさんはご家族に「小さいときから住んできた、この家で最期まで過ごさせて」と頼んだそうです。そこで娘さんが在宅看護を検討し、ご嫁があって私たちが関わることになりました。
 ハナさんの病気を知った親戚の人たちは、「本人に末期がんだとわからせちゃいけないよ」と示し合わせて、おそるおそるお見舞いに行ったのです。ところがハナさんは「何をオロオロしているの?内藤いづみ先生が往診にきてくれているのだから、私は末期がんなのよ」と言ったそうです。
 私はこれまで、本や講演でホスピスケアのことを話してきました。がんによる体の痛みは本当につらいものですから、患者さんが心を閉ぎしてしまうこともあるでしょう。でも、ホスピスケアでは痛みの緩和を中心に、精神面でのケアや家族への援助など、患者さん一人ひとりに合わせた対応を行います。
 ただし、痛みはなくても病気は進行し体力は落ちてきますので、通院がつらくなったら外来から在宅看護に切り替えます。これまでの私の経験から申しあげると、在宅看護に切り替えてから二ケ月くらいで最期を迎えられる患者さんが多いようです。
 私の本を読んだハナさんはそのことを知っていて、自分の寿命に気がついていたのでしょう。覚悟がおありでした。そして二ケ月が過ぎましたが、ハナさんは元気でした。そして「もうちょっと生きたい」と言いました。病気に対しては、ご本人の 「生きたい」という意欲が何よりも強い力をもちます。春のお彼岸が過ぎ、花見が過ぎ、暑い夏もハナさんは乗り越えました。そのころ私が往診にうかがうと、近所の人がこんなことを教えてくれました。「先生、ハナさんは自分の名前のように『花のように生きて、花のように死にたい』と言っていたおばあちゃんですよ」。
 九月になると、ハナさんの体力が少し落ちてきました。でも、トイレは自分で行きます。オムツをつけることは人間の尊厳を保つうえで一番つらいところで、トイレだけは自分で行きたいと皆さんが言います。ハナさんも一生懸命にがんばったけれど、ある日、トイレに行くのがつらくなったと言いました。娘さんとお孫さんの肩を借りてトイレに行ってから、ハナさんは「ありがとう。私は充分に生きたよ。こうやってトイレの面倒を看てもらう時期になったら、私はこれでもういいと思う」としみじみと言ったそうです。そして眠りにつき、そのまま昏睡状態となりました。ハナさんは二日間、眠り続け、本当に花のような笑顔とともに静かに亡くなっていきました。
 そのとき、ハナさんのまわりには小さなひ孫さんたちがいたのです。私は子供たちに「耳は最期まで聞こえるらしいからハナさんに声を掛けてあげて」と言いました。子供たちが大きな声で「おばあちゃん、ありがとう」と言うと、ハナさんのまつ毛がかすかに動いて、一筋の涙がこぼれました。子供たちの声が聞こえたんだとその場にいたみんなが納得したのです。
 いのちの最期を看取るという私たちの仕事は、ある意味で魂のそばに近寄る仕事でもあります。なぜ生きて、なぜ死んでいくのかという、声なき疑問に答えなければならない仕事でもあると思うのです。
いのちを見届ける
では、私が在宅看護を中心としたホスピスケアに携わるようになった理由をかいつまんでお話します。私は研修医のころ、東京の病院で働いていました。当時もがん患者さんは多かったのですが、今のように病名の告知をすることはあまりしていませんでした。ですから、患者さんは自分の病名も知らされず、孤独の中で過ごされていたのです。私はその現状に大変驚き、「死に逝く人が一番怖がっているのは孤独だ」と思ったのです。孤独にならないためには、その方が家族や友人に抱きしめられたり、声を掛けられたりしながら過ごせればいいのではないかと考えました。もちろん、病院やホスビスでもそのような環境を整えることはできますが、一番孤独でない場所というのは自分の家ではないでしょうか。そうして在宅での看護の重要性に気づいたことが、今の私の仕事につながっています。
 ところで皆さんの中には、がんというむずかしい病気の患者さんを自分の家で看ることができるのかと不安に思われる方もいるでしょう。でも、じつは昭和三十年代のはじめまでは、病院で亡くなる人は少なく、どんな病気でも家で看取っていました。つまり、当時は家で死ぬことは当たり前だったのです。
 それが今では日本全体が豊かになり、医療も発達し病院も増えて、ほとんどの方が病院で亡くなるようになりました。
出産も同じで、家ではなく、病院で産むのがほとんどです。すると、生まれるのも死ぬのも病院ですから、「おぎゃあ」と赤ちゃんが生まれるところも、身近な人が「ありがとう」と涙を一筋流して亡くなっていくところも目にしない社会になりました。そういう中で私たちは死が日常から離れた、どこか遠い世界のことだと思うようになったわけです。
 でも、そんな時代だからこそ私は、「おうちで、みんなで看取ってください」とお話しています。皆さんは、臨終の場では医療者が患者さんのそばにいないといけないと思い込んでいるかもしれませんが、そうではありません。人間には死んでいく力もあるし、看取る力もあります。
医療者はあくまでもそれをお手伝いする立場です。患者さんが最期まで聞いていたいのは、私たち医療者ではなく、家族や友人の声なのです。
最期の「ありがとう」
もうひとり、四十五歳という働き盛りにがんで亡くなった患者さんのお話をしましょう。愛する奥さんと高校生と中学生の娘さんを残して逝かなければならないこの男性が初めて私の病院にいらしたとき、こう言いました。「ホスピスケアの話を聞いて、ぼくがどんなに安心したかわかりますか。体の痛みを緩和してくれる方法があるんだ。これでぼくは今まで見てきた仲間たちのように、『痛い。苦しい。家族なんかあっちに行ってくれ』と言うのではなく、最期まで家族と向かいあえます。こんなに嬉しいことはない」。そうしてこの方はご家族と一緒に毎日を過ごし、最期に「ありがとう。君と娘たちを残していくことは心残りでしかたがない。でも、ぼくは夫として、父親としてできることは全部したよ」と奥さんに笑顔で言って、亡くなっていきました。
 がんによる痛みを取り除いたときに、患者さんは初めて自分の人生を取り戻すことができるのだと思います。そのうえで、「家族や友人に囲まれて家で過ごしたい」という患者さんの思いを支えるのがホスピスケアの仕事です。 これまでの経験を通して、私は皆さんにひと言申しあげたいと思います。がんは愛する人に「ありがとう」と言える時間が与えられている病気です。私の父のように、何の予告もなく、あっという間に亡くなってしまう病気ではないのです。それがわかれば、前向きに生きる力が出てくるかもしれません。そうすれば、病と共存する力も与えられるのではないでしょうか。
出会うために生まれてきた
私はこれまでたくさんの患者さんを看取ってきました。多くの場合、自分の寿命が短いと知った患者さんには「なぜ私が死ななければならないの~」という魂の痛みが出てきます。それは「なぜ私は生まれてきたんだろう」という魂の叫びでもあります。
 ある詩集に載っていた、三歳の子供のつぶやきに私はその答えを見つけました。その子はおかあさんにこう言ったそうです。「どうしてぼくが生まれてきたか知ってる? ぼくはママに会うために生まれてきたんだよ」。これが人生の答えだとその詩人は言っています。私たちは、誰かに出会うために生まれてきたのですね。
人は誰かに出会ったことに感謝し、自分のいのちを生ききって、静かな最期を迎えることができるのだと思います。
 最後に皆さんに、「幸せになるための三か条」についてお話しましょう。 三か条の一つ目は「他人の幸せと比べない」 ことです。その人の幸せはその人にしかわからないものです。二つ目は「他人のせいにしない」。人間は自分の今の状況を、「この人と結婚したから」とか 「こんな息子がいたから」などと人のせいにしてしまいがちですが、幸せになるためには人のせいにしてはいけないのです。そして三つ目は 「欲張らない」。欲望は次々と連鎖を起こしますから、今あるもので満足することが大切です。
 この三つができたときに、私たちは幸せという境地に立ち、「ありがとう」というすばらしい言葉を残して、愛する人に別れを告げることができるのです。そのことをお伝えして、私の話を終わりにいたします。
昨年十一月三日、東京の乗商ホールで第十七回講話会を開催し、多くのお客さまにご来場いただきました。当日は、NHK「ラジオ深夜便」のアンカIを務める遠藤ふき子さんの司会で進行いたしました。以下にお客さまのご感想の一部を、要約してご紹介いたします。
秋晴れの文化の日にふさわしい講話会でした。世の中ではいろいろな出来事が起こっていますが、皆がもっと「いのち」の大切さに気づいたら悲しい思いをする人が少なくなると思います。おふたりのお話をうかがって何だかやさしい気持ちになれたような気がしま
す。【茨城県 後藤朝子様】
何十年ぶりかでこのような講話会に出掛ける機会に恵まれました。久々にメモをとりながら、家族に対してもう一度感謝したいと思いました。夫や息子に出会ったときの気持ちを忘れていたように思います。「いのち」についても、今日からは私なりに息子に語っていけたらいいと考えていまず。【束京都 平田全代様】
今回、内藤先生のお話を聞き、私も中学三年生のときに父の急死を経験し、そのときも近所のお医者さんに最期を看ていただいたことを思い出しました。内藤先生のような先生がたくさん増えてほしいと思います。【栃木県 穐山幸子様】
両先生のお話を拝聴し、涙がとまりませんでした。私の眠っていた魂を呼び起こしてくださったのでしょうか。私も七十八鹿、「生と死」は現実に迫ってくる問題です。今日一日を大切に、おだやかな心で過ごし、人生のお別れのときは心から多くの方々に「ありがとう」と言えるように努力したいと痛感いたしました。【束京都 水島嘉代子様】