ホスピス記事

続・番長の心意気


zoku_bancho001.jpg2月初めにこの欄で紹介した「番長」が逝った。「末期がんで余命3カ月」と告知を受けて、「家で最期を迎えたい」と入院や延命治療を拒んだ山梨県甲州市の「元番長」こと大工の川崎朝雄さん、享年56。告知から2年9カ月を生きた3月7日の昼下がりに、自ら建てた自慢の家で、看取りもにぎやかに旅立った。
その2日前には大好きなパチンコに出掛けて、夕方に帰宅。笑顔で妻と言葉を交わした。「どうだった」「まあな」。1万円の勝ちだった。前日の夕方には、顔を出した友人と世間話。夜は風呂で頭を洗い、ひげをそった。
出立の朝は、ご飯とシラスおろしを口にして間もなく意識が混濁。主治医が寄り添い、駆けつけた兄姉や大工の親方に手を握られて静かに息を引き取った。全員で体を拭き、最後に奥さんが「ありがとう」と声をかける。遺言通りに紺のつむぎで旅支度。可愛がっていた親戚や友人の孫たちが書いた手紙や絵と一緒に棺に収まった。
実は記者は番長と20日に再会を約束していた。「オレは飲めんが仲間を呼ぶから一緒にやってくれ。そこまで生きたら次は結婚記念日(3月26日)が目標だ。欲張りすぎかな」。旅立ちの数日前に交わした電話が耳に残る。そして約束の日、「ヤツの心意気はオレたちが引き継ぐ」という川崎さんの親友たちの言葉に甘えて追悼の宴にうかがうと、昨年の結婚記念日に町の写真館で事前に撮影しておいたという遺影が笑顔で迎えてくれた。

「不思議よね。私、告知された時はあんなに泣きじゃくったのに、亡くなった後は一度も泣いてないのよ。あの人、遺影やお墓の段取りまで全部自分で決めて、思い通りに逝ったでしょう。だからかしら、見送る私の心はとっても穏やかなのよ」。そう言って奥さんの目に一筋の涙。「あらっ、やだ私、泣いちゃったわ。でも、なんだかとっても温かい涙よ」

そして、場所を変えた居酒屋で親友たちと献杯を重ねる。「ヤツには生き方を学んだような気がする。オレたちもあんなふうに最期まで生き抜いてみたい」。みんなの言葉が宴のさかな。
一面の桃畑が広がる甲州市。4月に入ると一帯は「桃源郷」の色に染まる。
毎日新聞2007年3月27日より抜粋