ホスピス記事

いのちに寄り添う


不治の病を宣告されて、残された時間を「住み慣れた家で、愛しい人々とともに過ごしたい」と希求する人々がいる。内藤いずみさん(50)はそんな想いに笑顔で寄り添う医師である。
山梨県で生まれた。福島県の医大を卒業後、東京の大学病院に勤務。生命維持装置につながったまま孤独な最期を迎える末期がん患者を目の当たりにした。医凛現場に「死は敗北」という空気がまん延する時代だった。
29歳で英国男性と出会い、結婚を機に渡英した。1男2女を授かり、ホスピス発祥の国で「いのちに寄り添うすべと心」を学んだ。
95年、一念発起して家族で帰国。甲府市の住宅地に小さなクリニックを開いて「在宅ホスピス」を始めた。24時間携帯を手元に置きへ最期が近づくとすぐに往診出来るようにジャージーで眠って、これまでに200人近くを看取ってきた。
「台所から炊事をする音が聞こえるだけでうれしい」。末期がんの24歳の女性は、母親の胸に抱かれて旅立った。敬老の日に娘や孫やひ孫に見守られて往生した91歳のおばあちゃん。亡くなる直前まで孫の幼稚園への送り迎えをした女性もいた。
子どもや夫が添い寝する間で息を引き取った人もいる。大好きな畑仕事を続けた肝臓がんの男性はいつも取れたての野菜をお土産にくれた。盆栽が趣味の男性の初七日は藤の花が満開だった。孫の浴衣を縫い上げて逝ったおばあちゃん。臨終の直前まで娘のお弁当のおにぎりを握った母親もいた。
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そして07年2月初旬の昼下がり。内藤さんは不治の難病を押して1人事らしを続ける86歳のおばあちゃんの家に往診に出掛けた。
「すすめられて一度は老人ホームに入ったけれど、鉢植えが気になって戻って来ちゃった。やっぱり住み慣れた我が家が一番だね」。築50年の古屋の軒先では初春の草花が、街角に彩りを添えていた。
人呼んで「花ばあちゃん」。その傍らで内藤さんが笑顔で言った。「人生で一番大切なことが命のぬくもりを紡ぐことだと教えてくれたのは、限りある命を生き切った患者さんだった。生まれる時に助産師さんがいるように、私はこれからも人生の最期に寄り添って生きたい」
毎日新聞2007年2月12日より抜粋