ホスピス記事

医学部・3年生・女性の実習レポート

(内藤先生のもとで実習された学生さんからのレポート)
東京で生まれ、東京で育ってきた私にとって、地域医療というのは遠い単語だった。もちろん、風邪を引いたら地元の開業医に行くけれど、ピンときていなかった。
それに、乳がんの診断から20年程、がん転移を繰り返していた祖母を自宅で介護していたにも関わらず、あの頃の私は小学生だったから、在宅介護と病院に入院することの違いなどはよくわかっていなかった


私自身は、自分が末期だとわかったら知りたい。
そして、緩和ケア病棟に入院したいと思っていた。
その時の家族構成や状況によっても変わるだろうが、緩和ケア病棟に入っていれば家族に心配をかけないだろと思ったからだった。24時間付きっきりにさせるのは申し訳ないような気がしていた。しかし、在宅と入院の違いを考えさせられた点が大きくふたつある。
ひとつは、緩和ケア病棟というものの存在についての認識が変わったことだ。国が進めた方針によって緩和ケア病棟は以前よりぐんと増えた。
今まで「増えた」という事実だけ知って喜んでいた私だったが、現実はそう甘くはないということを知った。
ほとんど「治す」医療をしている大病院の一角で、雰囲気の重みを減らす限界があること。急速な普及でシシリー・ソンダース理念が一律には広がっていないこと。
病状に合わせて治療と疼痛緩和のバランスをみて行える専門性のある施設は最適だと思っていたが、「がん」よりも「人」と向き合うことを考えるとベストとは言い難い。
もうひとつは、グループホームの往診に同行し、認知症の高齢者を大勢目の当たりにしたことだった。どうしてここに居るのかも、スタッフとの関係もよくわかっていない。
一緒に住んでいたはずの家族もあまり見舞いには来ない。トータルペインで考えると社会的な死を意味しているように思った。脳は忘れてしまっているかもしれないが、魂は傷付いているに違いなかった。せめて家族との繋がりが保たれていればと思った。
しかし、現状は簡単ではないだろう。家族に若い人がいない、認知症の親を見ているのが辛い、仕事に出ている間ずっと家には居られないなど、様々な理由で在宅を敬遠してしまうのだ。
その中でも、在宅でやりたいとは思うが不安感が残るという患者、家族に対してできることはないだろうか。それが在宅ホスピス、往診という形なのだと思った。
家族を在宅で看取った経験のある方々のお話を伺うことができた。生の声は教科書には載っていない重みと現実感を伴いながらも、確実に教科書的な不公平感、罪責感、孤独感を帯びていた。
その時の共通の感想は、身近なクリニックの存在があって良かったという言葉だった。はじめに治療した大病院と連携をしながら、常に病状を把握してくれ、小さなことでも相談できる先生がいたことが心強かったと言った。
在宅ホスピス医は自宅で最期を迎えたい患者、家族に医療と安心感を与える存在なのである。
在宅で看取った患者さんの写真を何枚も見せて頂いた。どの写真にも笑顔があり、とても自然な笑顔だったのが忘れられない。余命を告知された患者とその家族が笑えるのも、今まで過ごしてきた家だからという点は大きいだろう。病気になる前の今までと変わらずに、ずっと家に居られて家族と過ごせること、これが一番の理想という人は多いはずである。
自然体でいられるところ。どんな楽しい旅行だって、家に帰った時が一番ぐっすり眠れるのだから。
「地域医療」という言葉には、無医村というイメージよりも、「人と向き合う」という感覚の方がしっくりくるのだということを学んだ。患者数、症例数をこなしていく大病院では賄いきれない部分をみることができるのが開業医の在り方なのだろう。患者の全人的な、かつ家族を含めた全体的なケアをみることができるのが、地域医療という言葉の本質だろうと思った。
人は皆、いつかは死を迎える。がんでも、老衰でも、いつかは看取らなくてはいけない。それを受け入れる心の準備は、皆でしていかないといけない。家族だけでは辛いところは、医師看護師介護士などの力を借りながらでいい。医療者は最大限の手助けをできるようにしていけたらよいだろう。患者の選択肢が増えてはいるものの、現状として、在宅ケアへの紹介が増えてしまっていることや、先端医療を善として看取りの意識が低下していることが課題として残っている。一般の方と医療関係者の双方において、少しでも「人をみる」を最優先に置くことに意識が変わって行けたらと願う。
今の自分にできることは何か。まずは自身の人としての基盤を整えたいと思った。身体、心、魂、社会の4つの背景をそれぞれ鍛えてこそ、相手の考えていることの理解に繋がるだろう。在宅、地域医療の必要性と難しさを改めて考えさせられ、心に響くものが多くあった。自らのビジョンを描くきっかけになったこの実習で感じた気持ちを忘れずに、常に学びを深めたいと思う。