米沢慧さんとの往復書簡

2011年8月6日 お盆を前に想う


バタバタと忙しい移動の伴った仕事が終わり、後は子供たちのお盆の帰省を待つ8月。
親になる、ということは“祈り”を学ぶということだとつくづく思う。
おそらく、自分がこの世に別れを告げるその日まで、ずっとずっと子供たちの健康と安全を祈り続けるだろうと思う。3月11日以降はことさらその思いが強い。
私の父と母もそうしてきてくれたのだと今頃になって感謝の思いが深く湧く。

2年前に書いた「いのちのレッスン」のあとがきを今読んで、ちょっとびっくりした。3月11日以降を生きるためのメッセージが偶然にも込められていたから。
2009年夏のこんな私の言葉を自分で噛みしめて、この夏生き抜く覚悟をみつめてみます。
皆様も、この夏をゆっくりと、じっくりと味わってお過ごし下さい。

「いのちのレッスンより」
おわりの言葉を兼ねた、はじめの言葉(2009年 夏に)
米沢慧さんとなつかしく10年ぶりに再会しました。10年前に、地方新聞で在宅ホスピスケアをキーワードに往復書簡として意見を交わしましたが、今回は私のホームページで半年以上に渡り、エリザベス・キュブラー・ロスの仕事を手掛かりに、ゆっくりといのちについて意見交換を致しました。
久し振りにお会いした米沢さんの瞳は前より一段と優しくなったように思えました。私の方の10年の変化が米沢さんにどう映っているかはあえて伺いませんでしたが、この書簡の中で感じて頂けると思います。


かつてあった私の生意気さは見掛け上幾分ソフトになったかもしれません。この10年で私も自分自身の家族から、そして限りあるいのちを生きる患者さんたちから多くのことを、特にいのちの前の謙虚さを学びました。
そうは言っても、この書簡を読み返すと、私の“怒り”がエピソードのあちこちに見え隠れしています。改めて、私は怒りの人間なんだと再確認し、我ながら苦笑しています。
私の怒りは、愛情と誠意を持って患者さんのいのちに向かい合わない医療者に向けられていたり、介護保険などのシステムにより介護が軽減されるのにつれ、心まで離れていってしまう家族と日本の過疎状況への苛立ちであったり、メメントモリ(死を想え)という社会から隔たってきてしまった日本社会に生きる高齢者の方々の長寿信仰への一種の驚きであったりと混在しています。
しかし、キュブラー・ロス曰く、全てがその人に与えられたライフレッスンです。それに気付くかどうか。自分のいのちが続く限り、家族を始め友人たちに感謝を忘れずに、いのちを学ぶ旅の喜びもそして悲しみも味わい尽くし、私もライフレッスンに取り組んでいきます。

今回の書簡では、米沢さんの大切なプライベートなこと(米沢さんの物語)もいくつかお聞かせ下さり胸に染みました。この場を借りて感謝申し上げます。
米沢さんの人生を決定付けたオカムラアキヒコも具体的な生きた姿をみせて、私にも身近に感じて理解できました。(もちろん知の巨人の全体の一部でしょうが)。
早い速度で時は過ぎていきます。日本の社会はこれからシステムの変化や地球全体の環境変化など、しばらく嵐が続きそうな予感がします。どんな嵐の下でもいのちが生まれ、育ち、そして亡くなっていく。嵐の中でこそ、仲間との繋がりが大切になっていくことでしょう。建前でなく、本音の仲間との繋がりでしか、私たちはこれからの未来を生き抜いていけないかもしれません。

オカムラアキヒコも本の中で言っていました。「草の根のいのちは這いつくばって逞しく生き延びていくのだ」と。私たちはまさしく時代の変革期にいるのだと思います。新たな価値観をどう確立していくのかが大きな課題ですね。この時に、オカムラアキヒコ、エリザベス・キュブラー・ロスのいのちの哲学を学んだことは本当に幸運でした。生きているいのちの宇宙に思いを馳せることができました。
この書簡は学びの始まりでしかすぎません。皆様もどうぞいのちの学びを続け、自分のライフレッスンに気付いて下さい。また皆様とお会いする日を心より楽しみにしております。
繋がるいのちに感謝をこめて。