米沢慧さんとの往復書簡

久しぶりのお便り― 米沢 慧さんへ 内藤いづみより

10月24日は埼玉県東松山市でのジョイント講演、ありがとうございました。
じっくりと語り合った本をこれまで2冊も出版させて頂いたのに、ふたりが一緒に講演したのが今回初めてだったとは・・・米沢さんから指摘を受けて気付きました。
確かに・・文章のセッションとは一味違う生の声の新鮮なやり取りでしたね。


今回の主催はNPOさいどbyさいどという市民グループで、米沢さんとは長いこと学び合ってきた方々と伺いました。
さいどbyさいど(寄り添う)とは、良い名前ですね。まさしくホスピスケアの核ですから。
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前日の23日、私は私の仲間たちと(もう10年以上ホスピスケアを学び合っています)山梨県立科学館で講演会を主催しました。
いのちの看取りの仲間たち(ご遺族)もたくさん参加して下さり、再会が嬉しかったです。
実は、不思議なご縁で科学館の学芸員の高橋真理子さんと知り合い、彼女の20年近い学びと心血を注いだプラネタリウムのオーロラストーリーを鑑賞し、対談するという趣向でした。題して「宙(そら)を見ていのちを想う」良いタイトルでしょう?
23日は満月でした。館内でそれはすばらしい息をのむようなオーロラをたくさん見させて頂きました。
この世とあの世を繋ぐ橋と長い間、言い伝えられてきたオーロラ。
50歳で亡くなった私の亡き父に会えた気がしました。
皆さんもそれぞれの別れを胸に、オーロラを眺めていました。
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高橋さんは10代の頃、写真家・自然研究家の星野道夫さんと出会い、自分の人生のテーマを決めたと話してくれました。それ以来ずっと一直線に宙を眺めてきました。
アラスカの自然と先住民たちの生き方、死生観を伝える星野道夫さんの写真と文章は、いつ読んでも私の魂の底にズシンと響きます。
特に「旅する木」のエッセーは大好きです。
パールバックの「クリスマスの朝に」に並んで私の大切なあこがれの2編です。こんな文章をいつか書けるようになりたい、と。
多分偶然ではなく、星野道夫さんのメッセージと24日に米沢さんがお話して下さったことは繋がっています。
21世紀の私たちの“いのち”はどこに向かっているのか?と。
それを私たちは真剣に考えようとしているのか・・・と。
そして、今という時は岡村昭彦が40年前に日本にホスピスを伝えた時以上に、大きないのちの視点の変革の時であると感じてなりません。
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米沢さんは「いのちのステージが変わった年」と、24日に2010年をまとめましたね。その4つのトピックをもう一度ここで詳しく教えて下さいませんか?
胸に刻みつけたいのです。
いのちの延命、いのちの創造の技術をほぼ手中にした現代の私たち。その先にある答えを既に、星野道夫さんはこういう風に飄々と語っています。
ぼくは人間が究極的に知りたいことを考えた。一万年の星のきらめきが問いかけてくる宇宙の深さ、人間が遠い昔から祈り続けてきた彼岸という世界、どんな未来に向かい、何の目的を負わされているのか、という人間の存在の意味。そのひとつひとつがどこかで繋がっているような気がした。けれども、人間がもし本当に知りたいことを知ってしまったら、私たちは生きてゆく力を得るだろうか?それとも失ってゆくだろうか?
そのことを知ろうとする想いが人間を支えながら、それを知り得ないことで私たちは生かされているのではないだろうか?
星とオーロラとアラスカの自然を見てきた人の言葉です。