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「生きることの意味」を求めて

Yakushin 2009年10月号より抜粋
「人はなぜ生きるのか」「生きる意味とは何か」。人は死に直面したとき、その間いを究極にまで問い詰める。答えは一人ひとりが自分で見いださなければならない。実は、その知恵こそ私たちの生きる支えとなる。今回は、在宅ホスピス医の内藤いづみさんに、患者や家族とかかわるなかでのエピソードや医師としての気づき、大切にしている姿勢などについて聞きました。


一対一で患者さんと向き合う
田中 内藤先生のなさっている在宅ホスピスケアとは、どのような活動ですか。
内藤 末期がんの患者さんの体の痛みをまず第一に取り除き、患者さんの最期の時を有意義に過ごしていただくお手伝いをしています。無理やり病院での治療をやめて家に戻すということではなく、家で過ごす道を選んだ患者さんとご家族を支えています。
田中 クリニックを開業して活動を始められたきっかけは。
090928_01.jpg内藤 私は幼いころから、人の痛みや悲しみを感じやすい子どもでした。中学生のときに医師になろうと思ったのも、人と向き合って支え合う仕事がしたいと考えたからです。そして大学病院の勤務医になったばかりのころに二十三歳のユキさんと出会ったことが、最初の一歩を踏み出すきっかけになりました。
 ユキさんは末期がんで入院しており、とても深刻な状態でした。「今、何がしたい?」と開くと、「家に帰りたい」と言いました。それでご両親の理解と協力を得て、最期の時を家で過ごすお手伝いをしました。約三か月、痛みなく家で過ごすことができ、ご家族から感謝の言葉をいただきました。その三か月は、私が医師という責任を背負い、ユキさんの命を二十四時間支えているという自覚がプレッシャーとなりましたが、ユキさんとのつながりを強く感じた時期でもありました。
 その後、イギリス人の夫の仕事の都合で約七年間イギリスで生活しました。イギリスでは一九六〇年代に現代のホスピスが生まれ、そこでがんの痛みが取れたらスペシャリストたちに助けてもらい、家で過ごすというシステムが広がっていました。私が漠然と考えていた形と出会うことができたのです。
田中 ホスピス発祥の地で学んだことが原点になっているのですか。
内藤 はい。現代ホスピスの創始者であるシシリー・ソンダース女史から、「ホスピスは建物ではありません。人を支える哲学です」と直接教えを受ける機会にも恵まれました。帰国後、その教えが一対一で患者さんと向き合う活動を始める後押しとなりました。
出会ってからのご緑を大切に
田中 家で亡くなることの意味を、どう思われますか。
内藤 死にゆく姿を見せることが、残される家族への最大のプレゼントになるのだと思います。九十一歳のおばあちゃんは、お孫さんたちに「ありがとう」と言われながら旅立っていきました。その姿を見ていたら、おばあちゃんがもう再び戻らないということはどんなに小さなお子さんでも分かります。命というものは、実際に触れないとわからないものなのです。
 このおばあちゃんの亡くなられていく姿を映像に残させていただいたのですが、担当した若い女性ディレクターは、おばあちゃんから「命の輪をつなぎなさい」と言われたことがきっかけで、結婚し、今年お子さんが産まれるそうです。とてもうれしい出来事です。
田中 命をバトンタッチされたのですね。
内藤 亡くなられた方からいただいたメッセージを伝えていくことは、その方を悼むことだと思い、機会を作ってお話しさせていただいています。それはご縁だと思うのです。患者さんと出会ったあと、ご家族の方とも一生つながっていると思うので、私は出会ってからのご縁を大切にしています。
田中 最近、先生がご嫁を感じていることの一つに山口県祝島の島民との出会いがあったそうですね。
内藤 はい。全く知識がなかったのですが、ご縁をいただいて島の生活を知ることができました。あるがままの自然の中で暮らしている老人たちの村に、反対を押して原子力発電所が建設されるというのです。私たちの便利さは、誰かの犠牲の上にあるのですね。命を操作することにも自然を操作することにも無理があると痛感しました。そして、生活者の立場から自然を尊んで原発反対を訴える老人たちの元気な姿を見て、活力をもらいました。
「希望」は命を生かす力
田中『しあわせの13粒』という絵本を出版されたそうですね。
内藤 私が患者さんの命と向き合いながら学んだことをまとめた、大人のための絵本です。絵は、強直性脊髄炎の闘病を続けるまつおかさわこさんという方が手がけました。この中に出てくる十三の項目のうち、「人の幸せと比べない」「人のせいにしない」「欲張らない」の三つは、末期がん患者さんから教えてもらいました。幸せは本人の気持ち次第で、実は足元にあるものだと気づいたら、有意義な人生を送ることができるだろうというメッセージを込めています。
田中 今ここに存在する自分を肯定するということですね。ところで、家で家族を看取るとき、送る側と送られる側はお互いに何を肯定し、何を共有できるのでしょうか。
内藤 家で亡くなるということは、亡くなるまで家で生きているということが大事なのだと思うのです。死とは亡くなる瞭問ではなく、死んでいくプロセス全体です。その意味では、死も命の一部だといえます。看取る側と看取られる側は、そのプロセスをこそ共有すべきなのではないでしょうか。
田中 遠藤周作さんを師と仰いでいるそうですね。遠藤さんの作品は、信仰や死と対岐する人間の深層へ迫っていると思います。
内藤 それが書けたのは、自分が病気をしたからだと言われていました。先生にとって病気は人生の挫折ではなく、そのおかげで人生の深さがつかめた存在だそうです。
だから人生には無駄なことは一つもないと。私は、いかなるときにも命は明るい面に向かって成長を続ける力が与えられていると思います。それを「希望」と呼ぶとしたら、希望は命を生かす力です。私はこれからも、患者さんの希望を支え続けていきたいと思っています。
田中 私たちは、今このときも死に向かって生きていますが、内藤先生にはその命をつなげていくことの尊さを教えていただきました。
Yakushin 2009年10月号より抜粋