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ホスピスへの道 1992年9月2日山梨日々新聞より

なぜ今この記事を掲載するか?
在宅ホスピスケアで2ヶ月前に亡った患者さんの遺品を整理したらファイルからこれが出てきた、と家族が届けてくださった。17年前の新聞記事だ。こんな昔からご縁がつながっていたのだ。


対談)内藤いづみ(当時・甲府湯村温泉病院医師):古川泰龍(熊本スワイツァー寺住職)
090813_01.jpg 人生の最後まで、豊かな生き方を。本紙上で連載された甲府・湯村温泉病院の内藤いづみ医師による手記や、がんと闘う人たちの記録は大きな反響を呼んだ。内藤医師はその後、やまなしホスピス研究会の会長として、がん末期患者のターミナルケア施設であるホスピスを建設するために運動を展開中だ。今回は、山梨医科大で開かれた「生と死を考える会」セミナーに講師として来県した熊本・生命山シュワイツァー寺住職の古川春籠氏との対談を、二回にわたって紹介しよう。
 内藤いづみ 私は、五年半、イギリスでホスピスというものを学んできました。イギリスはホスピス発祥の地であり、キリスト教文化の国です。
 きょうは、日本人として、仏教の観点から生と死の問題を教えていただきたいと思います。
 古川泰龍 現実的に見て、日本の仏教は葬式仏事、つまり死んだ後のことが中心。多くの患者さんが何の救いもなく死んでいくのを大変悲しく思います。われわれ仏教者も、遅ればせながらホスピスの勉強をしたいと思っているんですよ。
 内藤 先生は産業医科大で、『総合人間学』の講義を受け持たれているとか。
 古川 そうです。もう十年くらい、宗教的な立場から、死の問題、死にゆく患者にどういう風に手を差し伸べたらいいか、といったことを話してきました。
 内藤 素晴らしいことですよね。私は大学時代、ずっと悩んでいました。医師になる以上、必ず死に瀕(ひん)する人とかかわっていかなければならない。それに対して、どういうことを自分の心の中で育てていけばいいんだろう、と。人間を細胸レベルや数字レベルで見るトレーニングはたくさんあったんですが、人間の心に光を当てることは無視されていたんです。
教える方も、教えられる方も、できればそこを避けた方が楽、というような風潮がありました。
 古川 死の問題は決して人ごとじゃないんです。医師自身も一個の人間として考えるべきですね。
 内藤 今の日本では、例えば、がん末期の患者さんは、それを知らされていないわけですが。
 古川 ええ。私、産業医科大病院で、『もう一人の主治医』というのになったことがあるんです。患者が死を意識して、これ以上の治療が困難だと悟った時、私が安らかな死を迎えるための話をするというものでした。でも、結果は失敗。やはりホスピスのようにちゃんとした所でないとだめなんです。
 内藤 と言うと?
 古川 患者さんが受け入れないんです。私は何のためにこの病院に来たと思っているのか、と怒るわけです。
 内藤 やはり、まだ治療を続けてほしい、と。
 古川 そうです。
 内藤 今の日本では、もし治らない病気だと言われたら、死にゆく像所がないような気がするんです。例えば自分、自分の家族、親をその立場に置き換えてみると、どうしよう、つて思いますよね。
すると、やはり(ホスピス運動を)頑張らなきゃ、って思います。
 古川 日本の患者は、外から見れば、非常にぜいたくな医療設備の中で死んでいくれど、心の救いにおいては、まったくの絶望、孤独と暗黒の中で人生の最後を遂げるように見えます。死刑囚に教戒師がいるように、病院にも教戒師がほしい、と書いている作家もいます。
 内藤 死刑囚が刑を宣告された極限状態の中、従容としてそれを受け入れる様子をうかがいました。集約した時間の中で自分の生を見詰め直して昇華していく、ということなんでしょうか。
 古川 少なくとも、死を問題にするということは、宗教的な領域に入ったといっていいでしょう。その時こそ、宗教者は患者の枕(まくら)元に行き、人生について語ることを積極的にしなければ。そう思って医療関係者に生と死を考えることを呼び掛けたんです。中には『お坊さん来てください』と要請する熱心な病院もあります。
 内藤 ホスピスも、今、全国に少しずつできていますが、そこに来るドクターがいないんです。ホスピスに行くこと自体、敗北の医学を選んだ、という風に見られる。でも、そういうことを気にせずにやる人も、新しい世代から生まれていますよ。