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「幸せだよ。ありがとう」

毎日が発見 2008年4月号より

 在宅ホスピスケアについての講演を20年近く続けてきました。
Fさんはその初めのころ、私の講演を聴いてくださったがん患者のひとりでした。私の話を聴いた翌日に、外来を訪ねてきました。がん告知は多くない時代でしたが、Fさんは「自分の行く末がどうなるのか、本当のことを教えてください」と主治医に迫り、全部知ったそうです。
 「2年前、直腸がんになり人工肛門です。その後、入退院を繰り返しました。最近、肺転移も見つかりましたが、今度入院したらもう家に戻れない気がして、考えた末手術を拒否しました。
担当医は怒りましたが、僕は残された人生は、1日も長く家族と一緒に居たかったから決心は変わりませんでした」
 45歳のFさんは、奥さんと中学生、高校生の娘ふたりとの4人家族でした。やり残したことはたくさんあるはずで深刻な状況なのに、その日Fさんは私の前に穏やかに微笑みながら座っていました。
 「昨日の先生の講演を聴いて、僕がどんなにホッとしたか分かりますか?万歳!と声を出したいくらいでしたよ。僕は闘病中、がんの痛みに苦しむたくさんの患者仲間を見てきたんです。恐い体験でした。皆、大切な家族の顔も見られないほど苦しんで死んでいきました。先生は『がんの痛みは取れます。もし苦しむがん患者がいたら、それは医者の怠慢です』と断言してくれた。僕は安心しました。
最期まで僕らしく生きられそうです。家族と一緒にずっと居られるように助けてください。先生の患者になります」
 それは、初対面での重要な依頼でした。その後、亡くなるまでのおつきあいは半年でしたが、まず痛みを緩和することに私は最善を尽くし、何とか合格点はもらえたと思っています。
 やがて病気は進行して、寝付くようになったFさんの周りを3人の家族が囲み、明るい笑い声や歌声が満ちました。Fさんの一家は音楽好きでした。Fさんは「幸せだよ、ありがとう」と最期まで繰り返しました。その言葉は、Fさん亡き後も奥さんや娘ふたりを支え続けたと私は思います。
  昨年、私はプロのピアニストに成長した長女さんと一緒に、音楽とホスピス講演の催しをもちました。お父さんの面影を宿す彼女の横顔を見ながら、「幸せだよ」と繰り返したFさんの声を思い出しました。