米沢慧さんとの往復書簡

往復書簡(米沢慧様)Vol.5 復

今回届いた内藤さんの文面から目に飛びこんできたのが「グランドデザインの欠如」という厳しいことばです。わが国の医療体制には、「いのちをどう生き、どう支えるか、そういう問いかけや確認がなされるべきグランドデザインがみえない」と。このことは年があらたまった機会にどうしてもふれておきたいことのようにおもいますね。


“グランドデザインについて”
この問題を考えようとすると、即座にマイケル・ムーアの『シッコSiCKO(病の俗語)』がつきつけた課題と重なっていることがわかります。大国アメリカ医療の最大の死角(公的な皆保険制度がないこと)を突いたメッセージ性のつよい映画でした。2年近く前になりますが、見終えた直後の歓喜に似た昂揚感をいまも体が憶えているほどです。
冒頭のシーンは衝撃でした。仕事中の事故で中指と薬指の二本を切断してしまった大工職人に医師が「どちらの指をくっつけたい?」と聞いているのです。治療代は薬指1万2千ドル、中指は6万ドル。安い方を選んだ職人には中指がない。一本あれば仕事に支障はないだろうというのです。
骨髄移植で命が救われるかもしれないと、重病の夫をかかえる妻。家族の骨髄がマッチすると判明し、大喜びしたにもかかわらず保険会社はなかなか金を下ろそうとしない。そのうち夫は死んでしまった。病院をたらいましされた末に死んでしまった子ども、保険がなく支払い能力がないからと病院から路上に捨てられる女性などが映し出されました。
アメリカ国民の60%は民間医療保険でカバーされていますが、病気がちの者は排除され、被保険者は加入する保険会社に参加する特定の医師の診断以外は受けられないとか、保険会社は病院や医師にも介入し、保険の審査医は治療の拒否権さえ持っているといいます。一方、高齢者や低所得者を対象にした公的医療保険(メディケア、メディケイト)には国民の25%が加入していますが長期入院や外来処方薬を給付していない。あとの残り15%が無保険者で4700万人だといいます。
たしかなことは、民間医療保険は医療を最も必要としている人を真っ先に排除しているという事実ですが、いま、わが国の産科医不足、患者のたらい回しニュースや後期高齢者医療制度等の現状をみるとなし崩し的にアメリカ化の道にあるようにみえます。
では、他国の制度はどうなっているのか。ムーアは隣国カナダを手始めに医療先進国のイギリス、フランスの現状を在住アメリカ人の生活と意見を通して紹介してくれました。
イギリスの国民健康保険制度(NHS)について内藤さんは詳しいでしょうが、すでに30年ほどの歴史があります。支払い能力ではなく、治療の必要性を最大優先して国民すべてにヘルスケアを提供するためにできた制度ですから、外来患者に交通費を支払うことさえ特別なことではない。処方薬も患者は月々一定金額を払えば、いくらでも必要な薬をもらえる。地域密着型医療で予約なしで診てもらえるクリニックも各地にあるほか、電話やオンラインで24時間看護師から医療アドバイスを受けるサービスもあり、世界でもっとも優秀なケアシステムのひとつにあげられていますね。
フランス。この国の制度はWHΟ(世界保健機関)によると世界一開かれた医療制度だといいます。一般の医師には予約なしで診察してもらえ、たとえフランス国民でなくも診療費は一律20ユーロ程度。妊婦や学生にはとりわけ寛大だし、長期患者の場合、自己負担はほぼゼロ。時間外のアポや往診もOK。このおかげでフランス人の寿命は毎年約3ヶ月ずつ延び続けているという話です(「シッコ」プログラムからも援用)。
ところが、ムーアが導いてくれた医療の展望はフロリダ半島の目と鼻の先、社会主義国キューバの医療でした。他でもない、彼は9. 11で救命作業にボランティアで参加して自らの健康を犠牲にすることになった救命員たちを、アメリカ国内での救済の道がないゆえにキューバに連れて行きましたが、最新の医療機器がそろった病院でキューバ人医師たちは彼らを笑顔で迎え「大丈夫ですよ」と声を掛け、無償で検査治療を施すのです。
この場面で高揚感はピークに達しましたね。病気になればどこでも誰でも無料でみてくれる。アメリカが敵国とみなすカストロ独裁政権ですが、「貧乏人として生き、金持ちとして死ぬ」ということばがあるほどにキューバの医療は豊穣だったからです。キューバの人口は1126万人。平均寿命は77歳を超え、100歳以上の長寿者は2800人以上。ちなみに総人口ではキューバのおよそ11倍の日本の100歳以上は3万5千人。人口比では長寿国日本に匹敵しています。
キューバ医療を紹介してくれる本(吉田太郎『世界がキューバ医療を手本にするわけ』築地書館)によれば、キューバの制度で最大の特徴は家庭医に相当する「ファミリー・ドクター」と呼ばれるプライマリーケア専門の自宅兼地区医院で、看護師と組んで地区の約120家族を単位にケアするもので全国民の98%以上がカバーされています。
制度の根幹を司る憲法第9条に「治療を受けない患者はあってはならない」と、国家が医療を保証することを義務づけています。これはわが国の第9条(戦争放棄)に匹敵する条文でしょう。それを受けて、全国民が無料で医療を受け、健康が保護される権利を規定し(第50条)、さらに予防医療に基づく福祉医療政策を実施し、国家が医学教育計画、定期診断、免疫他の予防政策をたてることも定めているほか、高齢者の支援や働く女性の出産前後の有給休暇を取ることすら憲法で保証されています。ちなみに各国でエイズ患者が増加しているなか、キューバだけは唯一減少しつづけています。
医療財源が足りなくなったときどうするでしょうか。真っ先に削る対象になるのは国防費だというのです。この挿話はキューバ革命(1959年)がカストロだけではなく彼の同士、チェ・ゲバラの存在と思想に裏打ちされたものだったことを教えてくれます。キューバの医療教育機関の中枢であるハバナ医科大学(学生2万8000人、6500人の教授陣)構内にはゲバラの遺影が飾られています。
革命後に国立銀行総裁という要職を投げ捨て再び一介のゲリラ戦士となってボリビアに乗り込みその後壮絶な戦死(1967年)を遂げたゲバラですが、彼は革命家以前に医師であったからです。アルゼンチンの中流家庭に育った医学生ゲバラがオートバイにまたがり、南米アメリカ大陸6400キロ縦断の旅に出る。その道すがらみた貧しい民衆の光景が革命家への道を駆り立てたといいます。その体験を交えた演説「革命的医療」(1960年)でゲバラはこんなふうに言い切っています。
「ただ一人の人間のいのちは、この地球上で一番豊かな人間の全財産よりも100万倍の価値がある。隣人のために尽くす誇りは、高い所得を得るよりもはるかに大切だ」
キューバ医療は間違いなく、「いのちのセーフティネット」を第一義としているのがわかります。グランドデザインはこのような理念的な支柱があってはじめて可能だということでしょう。“総論賛成、各論反対”とか“いかがなものか”といったきっかいな論理が横行するわが国にもっとも欠けているものです。
たとえば一昨年施行されたがん対策基本法があります。
わが国において死因のトップは1981年からずっとがん。毎年30万人以上がなくなっている。また、厚生労働省研究班の推計によれば、生涯のうちにがんに罹る可能性は男性の二人に一人、女性の三人に一人。さらに継続的に医療を必要とするがんの患者数はざっと140万人以上(国民医療費は全体のおよそ10%の2兆3千億円)。あらためてがんは長寿社会、高齢社会にあっては避けられない疾病となったこと、がんとともにいきるという時代を迎えたこと、その認識からがん対策基本法が誕生したわけです。
これによってがん医療は欧米からの遅れを一気にとりもどせるという声もききますが、グランドデザイン(いのちのセーフティネット)という観点からみるとわたしには不満があります。
臨床医学、つまり疾病・患者を前にしての医療のあり方を考えてみますと、〈病めるしくみ〉を前にして少しでも早く治すという治療の領域と、〈病めるすがた〉に寄りそい看護(みまも)り、癒す領域の二つがあります。一般的にはその機能から〈病めるしくみ〉は医師、〈病めるすがた〉は看護師の役割に置きかえられるのですが、がん対策ではこの二つの領域、治療とケアは〈いのち〉への配慮という観点からもより緊密で不可分な関係にあるということがいえます。
その点からいえば、基本法はがん疾患に対する治療・治癒体系の規範化、〈病めるしくみ〉から見たがん対策に終始しているといっていいのです。向こう10年間の目標もがんによる死亡者の減少をあげ、早期発見・早期治療を前面に押し出した、がん撲滅、闘うがん医療体制の整備がポイント、あたかも死因のトップからがんを引き下ろすのが課題のようにみえます。
そのために〈病めるすがた〉に向き合う〈いのち〉への配慮、ケアの眼差しがあまりにも低く、見えないことです。たしかに基本法ではがん患者の療養生活の質の向上(16条)をあげ、苦痛の軽減つまり緩和ケアを治療の初期段階から実施することも強調していますが、治療の枠組みからの扱いに留まっています。
 緩和ケアは治癒をめざした医療ではありません。かつてはホスピス運動と連動したターミナルケアを総称したもので、世界保健機関(WHO)は1990年に「治癒不能な状態の患者および家族に対しておこなわれるケア」と定義し、緩和ケアというとがん末期患者に対するモルヒネ等の疼痛ケアに代表される終末期医療の代名詞にもなりました。
ところが2002年になるとWHOは緩和ケアこそ「疾患の早期から」提供されるべきであると次のように定義し直しました。
「緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな(霊的な・魂の)問題に関してきちんとした評価をおこない、それが障害とならないように予防したり対処したりすることで、クオリティー・オブ・ライフ(生活の質、生命の質)を改善するためのアプローチである」
緩和ケアは「命の終わりを見据えた医療」そのものを指すものではないこと、「病気によって起きている問題や起きる可能性のある問題に対応する医療」だといっています。要するに〈病めるすがた〉へのトータルケア、いのちへの配慮にほかなりません。治療技術が高度に進んだいまこそ、緩和ケアは臨床医学にあって上位概念になったと理解すべきで、医療倫理の課題としても、寛解期をいきるがん患者サポートの理念としても、がん対策基本法の冒頭に掲げられるべきものだったでしょう。
グランドデザインに関連してふれてみたくなったことがあります。今春施行される「裁判員制度」です。裁判所が候補者名簿に記載された人に送ったイラスト付解説書『裁判員制度Q&A』をみると、「裁判官といっしょに被告人が有罪か無罪か、有罪の場合はどのような刑にするか決めてもらう」国民にひらかれた制度だと楽観的な記述で終始していますが、ほんとうでしょうか。
わたしが一市民として参加できるグランドデザインをことばにすれば、和解・救済・償いの三つの視点からだけです。ところが扱う事件は殺人・強盗致死傷・傷害致死など凶悪犯罪だといいます。そうなら現行制度のうち、先ず死刑を廃止してからだろう! わたしの胸の内ではそう叫んでいます。
今回、いただいた内藤さんからの問いかけはじっくり考えたいことばかりでした。そのなかの一つ送って頂いたものに、認知症の人とのコミュニケーション法を説いたナオミ・フェイルの『バリデーション』があります。思い当たることも多く、また未知な領域だけに刺激的で興味深いものでした。これは踏み込んでお話したいとおもっていますが今回は宿題です(なんか、宿題がどんどん溜まっていく感じですね)。
ここは次回に関心をつなぐことができればと、私たち夫婦がつきあって20年、昨年特養ホームに入居、今年は100歳になろうというタキさん(女性・仮名)の話を紹介してみます。8年ほど前の挿話から話ましょうか。
梅雨時のある日、慶応大学病院の救急外来から「タキさんという方をご存じですか」と電話がありました。タキさんは都庁ビルがみえる西新宿の高齢者アパートに身寄り縁者がないまま独りで暮らしている92歳(当時)、月に1、2度電話をし、年に一度は街で妻と3人で食事をするようになった間柄でした。タキさんは妻が学生だった当時の女子大の先生だったのです。
その日新宿の高層ビル38階の下りエスカレーターで転び顔面を強打し、出血して慶応大学病院に運びこまれたというのです。前歯が骨折したほか、脚の打撲の痛みはあるが日常生活にさしさわりはないとのことでしたが、
「ただ、ご高齢でもあり付添いなしでお帰りいただくわけにいかない」
そこで、タキさんはしぶしぶわたしたちの名前を口にしたというわけです。
病院に駆けつけるとタキさんは大丈夫だといわんばかりに、むしろ不機嫌そうな表情でした。担当医師がわたしに一通りの説明をすると「お大事に」といって送ってくれましたが、そのことがタキさんにはいたく不満でした。ケガをした当人に説明すべきことをなぜ他人のあなたといっしょに聞かなければならないのか。しかも「医者はわたしに顔を向けないであなたに説明していた」と。
タキさんは救急車に乗せられたことがショックでした。それよりも、雨の日に傘をもって38階の歯医者に行ったこと、なによりもエスカレーターでつまずくような衰えはなかったはずだ、としきりに反省し後悔していたことです。
わたしは「ついてない日もありますよ。でも、大きなケガでなくてよかった」といい、タクシーで自宅に送ろうと乗り場に急いだのです。
「今日はお疲れでしょうから、タクシーで帰りませんか」
けれどタキさんはそんなわたしをふりきってJR信濃町駅に歩きながら言うのです。
「あなた、わたしは一人で暮らしているの。しっているでしょ。だから、きょうも帰りの道をきちっと覚えて時間も確かめておかなければ、次の治療の日に一人でやってこられないじゃないの。そうでしょ」と、先生らしく私を叱責するのです。
新宿駅までくると「ありがとう。うれしかったわ」といい、デパ地下に連れていくとウナギ弁当を買ってくれ、いつものように手をふって一人バスに乗りこんだのです。その後ろ姿は輝いてみえたものです。
それからタキさんとの親交が深くなったということはなかったのですが、4、5年前から身辺生活の様子が変わりました。ときどき親が心配している、おじいちゃんがさびしがっているとか、家に帰ってくるといい、しばしば六本木界隈にでかけるようになりました。生まれ育ったあたりのようでした。お墓も近くの青山墓地にあり、400年も続いた旗本の家系とかで立派なものでした。家に不在となると見当をつけてヘルパーさんと探し回り、私たちは交番に迎えにいくことになったのです。
そのころから私たち夫婦で確認しあったことといえば、タキさんには施設ではなく独居生活を貫いてほしいこと、そのための手伝いをしようと介護保険の適用を受けながら妻も週2回、通うようになったのでした。
東京医科大学病院の老人科の診察を受けたときのことでした。いわゆる認知症診断です。
自分の生年月日をすらすら答えたあとのことです。
「タキさん、今日は何月何日ですか」と医師が訊ねたときです。
タキさんは、しばらく考えてからこんなふうに応答したのです。
「…今日が何月何日かはわかりません。でも、今日が何月何日だかわからなくても生活するのに困ったりしません。また、今日が何日かは新聞をみればわかります。新聞をみせていただければ答えられます。もってきてください」
「……いま、新聞はありませんから、わかりました」と医師。
わたしは、心の中で大拍手、笑いがこみあげてきました。タキさんらしい流儀の答え方だったからです。もちろん、タキさんは真摯に話を続けました。
「先生、わたしに兄妹とか家族がいれば、今日が何月何日かも教えてくれるでしょう。でも私は一人で暮らしていますからね、教えてくれる者がまわりにいないだけです」
けれど、医師はアルツハイマー病の兆候のある画像をわたしたちにみせながら、「認知症です」と診断したのでした。
昨年6月、タキさんは高齢者アパート近くの新築されたばかりの特養ホームへの入居が決まり、私たちはタキさんの部屋をふだん通りの姿に再現して引っ越しに備えましたが、幸い新しい居室には満足のようで、お祝いしましょうかというと、
「誕生日? 私はいくつなの。60?」
「いいえ、白寿。99歳です」すると「信じられないわ」
そして先日、新年の挨拶に久しぶりに家族ででかけました。元気でしたがわたしたちが誰かはわかりません。ただ職員スタッフではないことには気づき、なぜか一緒にでかけた若い息子をハグしようとし、息子も笑いながらタキさんの小さなからだを受けとめていました。
冬本番はこれからでしょうか。冬ごもりとはとてもいきませんが、春を待って呼吸を整えましょう。いづみさん、ご自愛ください。