米沢慧さんとの往復書簡

往復書簡(米沢慧様)Vol.3 往

内藤いづみさま
●今月は緒形拳さんの死についての感想から始めたくなりました。
中秋の名月を眺めながらいつか、山中湖あたりをゆっくり歩きたい…。
けれど今年もその機会がなくなったなあ、と都内の病院から深夜友人の遺体を見送りながら月を追いかけていました。


大学時代からずっと親しく、家族的にも経済的にも恵まれませんでしたが、いつも自分のことより人への配慮を忘れなかった男でした。最後まで仕事をし見舞いにきた私を激励し亡くなったのは10月6日夕方(前立腺がん)。看取りから通夜、葬儀と続いた一週間は久方ぶりの旧い仲間との密な温かい時間を過ごしました。
こんな私事を枕にしたのは、俳優緒形拳の死(10月5日・享年71歳)が友の死と重なって印象深いものになったからです。
亡くなる数日前に遺作となったドラマ「風のガーデン」の記者会見を観ましたから急逝だったわけです。
緒形さんは8年ほど前から肝炎をわずらっており、5年前に肝がんに移行。家族以外にはそのことを一切口外せず本人の強い意思で入院治療もしないで、役者として全うしたということです。
つまり、その間緒形さんは病気でありながら闘病の姿をだれにも見せなかった、患者の暮らし方をさいごまでしなかったということ。
さらに終末期、いわゆるキューブラー・ロスの「死とその過程」もなかったようにおもえたこと。この二つの事実に衝撃と感銘があつまったようにおもいます。
その後も追悼番組でドラマ「ディアフレンド」「帽子」も再放送されました。いずれも老いを演じた優れた作品でしたが、これらを観ながら、わたしは役者緒形拳が口にした「病(やま)いる」ということばを探していました。たしか、記者会見のなかだったようにおもいますから、新ドラマの役柄で使われる言葉かもしれません。おもわずハッとして、メモしたのです。
「やま病いる」(「病める」ではなく、)
「病む」や「病める」ではなく、「病い」でもなく「病いる」という表現。
「やまい」を辞書で引く、あるいはパソコンで「やまい」と打つと「病」であり、送りのある「病い」は誤りだといわんばかりに示されません。ですから「病いる」など引き出すことはできません。
しかし、わたしに言わせれば、病と病いは同じではありません、ちがいます。英語でいえば前者はdisease、後者はillnessでしょう。
「病」「病い」「病いる」。
わたしは語源的にこだわったのではなく、「病いる」を自己表現として、意思的な強いことばとして聴いたのです。俳優緒形拳の死はその言葉と深く関係しているのではないか、そう思えたのです。
では「やま病いる」とは何でしょうか。
「病いる」は「老いる」と同じ響きをもったニュアンスをつたえることばではないか、そうおもいます。ここで「老いる」とは、体が衰えていく、老化していくという意味ではありません。「老いる」とは「老いをいきる」ということばです。老いに抗うとか老いと闘うというのでもありません。
同じように「病いる」とは体が病んでいくことではありません。また、患者として病気に抗うとか、がんと闘うということでもありません。誤解をおそれずに言ってみます。病気を健康に受けとめること、つまり「病いをいきる」ということばだったのではと。
緒形さんはそのような受けとめ方をした人ではないか、そんな思いがしたのです。
関連して思い出した本があります。自らの乳がん体験から言葉でがん病に挑んだスーザン・ソンタグの名著『隠喩としての病い』(1978)です。その冒頭で、「この世に生まれた者は健康な人々の王国と病める人々の王国と、その両方の住民となる」といい、人は誰しもがずっと健康な王国の住人でいたいとおもうけれど、早晩、好ましからざる病める人々の王国の住民として登録せざるを得なくなるといったことを述べています。
ここで「病者の王国に移住する」とは立派な病名(がん)を手にした人が患者として医療施設と医学用語の世界の住人になってしまうことです。だから、住人は一日も早く治癒して、つまり患者の肩書きをすてて健康な人々の王国へもどりたいと願うものだといっています。けれど、がんのような病気は肉体の病気としては治ったようにみえ、いそいで健康な国に帰還しても、どこかで死を隠し持つ言葉のあや(隠喩 メタファ)に悩まされて、なかなか真の健康の王国のパスポートを再発行してもらえないものだ、といっています。
では「健康に病気になる」手だてはないでしょうか。とりあえず、それはあるとスーザン・ソンタグはいうのです。まず、隠喩がらみの病気観を一掃すること。そして、病者の王国の住民となりながらも、それに抵抗することだといっています。
わたしはそれ以外にもう一つあるようにおもいます。それは病気と抗うことなく自らの健康な国を思い描きながら、病気の国の概念(医療用語)や患者の世界(病棟)から解放される三つ目の国を歩む生き方です。それも「健康に病気になる」方法かもしれないと考えています。とりあえず、ここで思い描く社会を「寛解の王国」と呼んでみます。病気が小康状態にあるというときの医療用語remission、「寛解」あるいは「寛解期」を転用させてみたのです。
長寿社会は三人に一人が一生に一度はがんにかかる。だれもがいつかは必ずがんとかかわることになりましょう。がんは死に至る「病」ではなくて、ともに生きる「病い」になります。ですから、「やま病いる」とは「寛解の王国をいきる」という生き方ではないか。そうおもいます。
緒形さんは、あるテレビ番組で生き方と演技芝居がひとつになる話を、こんな言い方でまとめていました。
〈芝居とか映画は現実の世界とちがい、いいかげんな、どうでもいい虚構の世界だからこそ、本気でやらないと虚構がドラマにならない…。でも、この歳になって老いの演技を考えると、演技することが演技しないことにつながるのではとおもうようになった。緒形拳という役者はヘタだねえ、下手になったねえといわれるようになるのが、わたしの理想(笑い)…〉
(10月14日 記)
●幸せ度をチェックする嗜みについて
さて前回、患者さんの「幸せの3箇条」を披露され、併せて「私の幸せ度」を教えてください、という注文をもらいました。たしかに私たちの書簡テーマは重くなりがち、今回も冒頭から「病いる」にこだわってしまいました。読んでいただく方にはつらい話になってしまいました。
そこで気分をかえて、なんとか応えて、以下話してみようとおもいます。
会社勤めという経験は10年もありませんでしたから、自由業(その日暮らし)はもう30年。フリーランサーという誇りを盾に、飢える自由も十分味わってきました。そんな日々のよろこびや、ハッピーな気分を、ひそかに「今日の幸せ度はゆで卵一個」とか「ゆで卵3個」という指標をつくって乗り切ってきたんです(笑い)。
なぜ、幸せ度を「☆ひとつ」とか「☆☆☆みっつ」とかにしないか。簡単です。わたしには一番美味しく、光かがやく食べ物は卵。とりわけきれいに殻をむき傷ひとつない白い光沢と匂いがひとつになった「ゆで卵」は至福の姿を象徴するに十分だからです。
戦後間もない子どもの頃、隣の家の鶏が卵を産み落とすのを待ち続け、そっと手のひらで受けとめると、針で卵に穴を開け、口をとんがらせてちゅうちゅう吸って食べて以来、いつか心ゆくまで卵を食いたいとおもったものです。東京に出て最初にした贅沢も、八百屋で一皿10個100円をゆで卵にして黙々と食べたことでしたし、新婚ほやほやのころ幸せを確かめるように、妻は毎日私のために卵入り弁当をつくり続け、ついには卵アレルギーの湿疹で皮膚科に通ったこともありました、幸せ度は変わりませんでしたよ。
三段重ねの重箱で、蓋をあけると上段はのり太巻きがならび、中断には卵焼き、最下段はゆで卵の縦列帯。これがわたしにとって「ご馳走」という至福の原型です!
幸せ度「ゆで卵度」とは、生きていてよかった! いま、ここにいることの喜びと安心! 共にあることへの共感! つまり、人生を肯定できるささやかな指標ということですね。こんな「ゆで卵度」はどうでしょうか。
①オムライスが「うまい」といわれたとき
小学2年生のサッカーボーイ(孫)が「おじいちゃん、いつものアレつくって」と最近は一週間に一回バターと卵2個を手にしてオムライスを私に直訴する。これに応えるよろこび。でも「もう、飽きた」と言われるのが恐いので、「試合に勝ったときだけにしないか」と提案。すると日曜日、公式戦2連勝して、大盛りを要求されました。
②ロッシュとの散歩
鹿児島生まれ、長野県育ちのドイツ種ミニチュア・シュナウザー。雌犬で六歳と半年体重五キロ。縁があってわが家にきたのは1年半前。机の下で猫のようにまるくなっているが、室内で用を足すところをまだ一度もみたことがない。そのことを誇らしげにしているふうに見え、私もエライ!と評価し、世間にむけては、だからカシコイ! と。それだけに雨の日はたいへん。多毛犬種でもあり雨合羽を着せても難しく、大樹のしたにびしょ濡れになって駆け込むこともあります。
③ジョン・デンバーの歌
ジョンといえば、亡くなって10年になる。「カントリーロード」とか「緑のアニー」とかだけでなく、癒してくれる曲はいっぱい。70年代から家族みんなで追っかけてきたので、いまでもお祝いの日、クリスマスにうれしい日は「デンバーさんの曲」がわが家には流れます。そう言えば、すこし前、メディアに「この世にサヨナラするときに聴きたい曲は」と問われて、即座にデンバーさんの「太陽を背に受けて」とこたえたことがあります。
ホスピスへの遠い道への巨人(岡村昭彦ソンダースキュブラー・ロス)との対話はこれから欠かせず長期戦になりそうですね。「でも、私のホームページだから、じっくりやりましょう」というお墨付きをもらったので、課題を残しながら、今回の便りはここまでにします。
次回はご注文をいただいた「患者の権利とホスピス運動」にふれたいと思います。 (10月21日記)