今日のつぶやき

原点~母の胎内にいるような温かい時間

梅雨あけから一気に35℃を越す毎日が甲府におとずれて、誰もがあえぐようにして生活した7月。重症の患者さんの最期の日を見守りながら毎週末に講演活動があった。(自分で作ったスケジュールなので誰にも文句は言えない)


7月6日は小淵沢アルソアホールをお借りしてピアニスト稲垣達也さんといっしょにいのちの響きコンサート。まさしく魂に届く響きだった。
7月11日~12日は尼崎市の聖トマス大学で「悲嘆」についての講演。この開催は高木慶子シスターのお働きによる。(岩本さんによる報告がすでに掲載されている。)翌日神戸の街を少し歩けた。
7月19日は4年毎の中学の同窓会。当番クラスということもあり、私が30分ミニ講演。みなさん真剣にきいて下さった。しかし会場が甲府市のサドヤワイン醸造場の地下。大きなワインのたるが貯蔵され、暗く、ひんやり。「オペラ座の怪人」がふさわしい?雰囲気の中でのいのちの話。
その翌日、空路で北海道へ。1年間北海道で大学生活を送る娘と会うのが目的。しかし、数年前から講演活動を通じて親しくなった札幌の高橋さんのお宅に寄り、お茶の間講演会。広い北海道のあちらこちらから集まってきて下さって感激した。高橋さんのばらのおうち(お庭がすてきなばらであふれている)は色々な悩みある方にとっての「ひと休み村」になっている。

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20℃の北海道から35℃の甲府に戻る。
7月25日 午後東京にてホームページの打ち合わせ。人権についての対談。
7月28日 日本財団助成事業によるホスピスセミナー開催。久しぶりにお会いする明るく元気なデーケン博士の厚みと深い話にみなさん感銘をうける。
前座での藤森さんによるアロマセラピーも良かった。会場はかぐわしい香りにつつまれ野の花に目をいやされた。
薬剤師の細川さんの話もわかりやすく好評だった。さて8月は少し休養をとれる?だろうか。


「原点~母の胎内にいるような温かい時間」 ばらのおうち文庫主宰・高橋洋子さんより
 7月20日午後5時、陽が西に傾くと心地良い南風も和らぎ「ばらのおうち文庫」のバラたちは最高の笑顔でいづみ先生を歓迎、
上空では近くに営巣しているオアサギまで野太い「ギャ~ギャ~」と言う声でご挨拶です。
 この日を楽しみにしていたのでしょう1時間以上も前から、看取りの現場にたつ看護師、死別の悲しみを抱えた人、各種のボランティア現場で活躍している人、お寺のご住職の奥さんなど様々な職種と様々な重い体験を内に秘めた40数人が集いました。札幌市内、近郊はもとより遠くオホーツク海沿いの北見枝幸、襟裳岬のある様似町からも十数時間乗り継いで駆けつけてきた方もいました。
待ちに待ったいづみ先生の柔らかな一声は、息遣いさえ聞こえるほどの至近距離で肩寄せあって聴いていた人たちの緊張を穏やかに解きほぐしていきます。
在宅での死が近づいた人へのいづみ先生ならではの心身のケア「美味しい天ぷら」の話は、その場に私達を連れて行き、魂に寄り添う話だからこそスッーと魂に入ってきました。病んだ経験のある人は誰もが主治医がいづみ先生だったら・・・と思ったはずです。
更に死別の悲しみをいづみ先生のお父様が亡くなられた時の体験も交え、“悲嘆”を家族や周りと頑張りすぎずに分かち合うことの大切さを話され、迷ったときは“原点”に戻ることを説かれました。
時に頷き、時に涙ぐみながら真剣に聞き入った1時間少々・・・本来どれもこれも暗く重い話しであるにもかかわらず、いづみ先生自身のもっている魂が明るいのでしょう、一つ一つの話が仄かに光を放つ感じがしました。
その後、いづみ先生に感謝を込めて、愉快な仲間達の一人・訪問看護士・荻野真紀さんが「優しい気持ち」“~♪心からありがとう~”の歌声を披露・・・大切な人を思い浮かべ皆さんの目からは涙が溢れていました。 長内瑞穂さんによる「涙そうそう」のハワイアンメロディーでの優雅なシャインダンスも、いづみ先生と過ごす夏の夜の贅沢な癒しの時となりました。
「正にこの日の話にあった“原点”に返るその言葉のように母の胎内に居るような温かな心地良い空間と時間であった。」と、感想を寄せてくださった方がいました。
いづみ先生が語ってくれた部屋は、5年前バッハの無伴奏チェロ組曲の流れる中、家族全員で母の看取りをさせて頂いた、(命のバトンをしっかり受け取った)我が家の“原点”の場所でした。
今日「ばらのおうち文庫」があるのも、この素晴らしい看取りの感動から生まれたものに他なりません。
昨年のいづみ先生の講演会に出席したことが切っ掛けとなり「傾聴ボランティア講座」で学び、新たな歩みを始めた人がいたように、魂でいづみ先生の話を受け止めた人は「命」という“原点”に戻り新たな一歩を踏み出す力を頂いたのではないでしょか。
 その一方で私は死別の悲しみを家族と共に分かち合うことの難しかった40年前に思いを馳せました。いづみ先生のお母さんは涙を見せずに頑張った。一方、我が母は毎日オイオイと泣き続け、15歳の私はその悲しみと戸惑いで、その後20年間人前で涙を流せなくなりました。
当時私たち家族は、天秤にかけられているような感じ・・・父という錘がなくなったことで大きく揺すぶられ、密室に居る状態で、遺された者全員揺られている中で悲嘆を分かち合うどころか、傷口に塩を擦り込む様なやり場のない日々を過ごした苦い思い出です。
35歳の時、卵大までに膨らんだ乳がん手術後の病床で“命を与えてくれている大いなるもの”に夢で出会い、以来涙を流せる喜びと同時に、あの10代の体験があればこそ死別の悲しみの中にいる友人一人一人に寄り添うことも祈る事もでき、更に「ばらのおうち文庫」でこうしていづみ先生をお招きしてお話を聴く機会を与えて頂けたわけですから感謝感謝の日々です。
何故かとても軽くなって自宅に戻ったという感想を寄せられた方も多かったのですが、私と同じようにいづみ先生のお話を聞きながら,それぞれが自分自身に立ち返り、一つ一つ心の扉を開放していくという見えない作業をしていたのかもしれません。
しかも一様に、優しく幸せな気持ちになり、誰彼構わず「有難う!」を伝えたくなったということです。微笑ましいことに50代も半ばをすぎて、88歳のお母さんに改めて「私を産んでくれて有難う!」と伝えた友人もいました。
ばらの香りが漂う季節、毎年いづみ先生を囲む愉快な仲間たちと、このような集いをもてたらどんなに嬉しいでしょう・・・いえ、北海道に“ひと休みの村“を建てるというのは如何でしょうか?
ともかく、在宅ホスピス医という大変なお仕事を担っているいづみ先生、貴重な時間を有難うございました。
甲府と札幌、距離は遠くにありますが気持ちは近くにいます。
日々のお働き、心よりお祈りいたしております。
・・・ 心からの感謝を込めて。