ホスピス記事

自分の力で“準備”しよう

「4月から75歳以上の方のための「後期高齢者医療制度」がスタートした。
本人の負担金も一律ではなく、新医療体制への窓口の対応が間に合わず、日本中、医療現場はごたごたしているようだ。


老いることは、心身の不調、不安を伴うが、とにかく高齢者への医療費は必要最小限にしてほしい、という国からのプレッシャーを医療現場は強く感じている。
これまでは、何でもできる少々過保護気味の環境だったかもしれない。
私は在宅ホスピスケアの仕事を通して、いのちの支え方を学んでいるが、何事も他人任せにしないで、自分で“準備する”という頃目もここに加えたい。
大切ないのちの問題を先送りしていても、正面から向き合って解決しなくてはならない時は必ず来る。元気な時こそ“限られたいのちの貴さ”を自覚し、今を生きる勇気と覚悟に繋げたい。
私がひそかに“花おばあちゃま”と呼んでいる、85歳のひとり暮らしの女性患者がいる。
自分で暮らしを全部取り仕切って、小さな前庭を花いっぱいにするのを生き甲斐に、重い難病を抱えながら春夏秋冬を笑顔で過ごしている。
できるだけ他人に甘えず、自分の人生に責任を持って生きる姿はみごとだ。
「花に囲まれているだけで幸せ。」といつも微笑んでいる。彼女は国にも制度にも文句など言わない。
『死と税金だけは誰も避けられない』(B.フランクリン)という言葉があるが、平和な時代に私たちは危機感なく、少々のんびり生きてきたようだ。
国や制度に頼り切らず、冷静に自分の頭で考え、自立して生きる道をそれぞれが一度立ち止まって考える時がきている。」
という主旨の原稿を、中高年が主な読者の月刊誌に載せた。
とにかく、制度を批判するだけでなく、本人がいのちのリアリティを取り戻して頑張って生き抜くしかないと私自身も感じているからだ。
しかし、事態は私の想像以上に深刻だ。
90歳近い老人を抱える家族たちから、往診を控えてほしい、という申し出が続いている。老衰などでは、一見変化は穏やかではあるが、私たちが定期的に状況を観察し、豊な看取りへと繋げていくことができてきた。
しかし、年金から介護保険代、薬代、デイケア費、ヘルパー代、ショートステイ費、そして今回の医療保険代を賄うとなると、家族はしばしば考え込んでしまうらしい。
削れるところは往診代(一か月で数千円)。しかし、“老人の最期はぜひ家で”と後押ししている国の体制が進めば、病院には簡単に入院できない。
私たち在宅ケア医としっかり繋がっていることは、いのちのお守り?
いのち綱ではないかと思わざるを得ない。急変時のみの往診では、対応が難しい時も生じるだろう。
私は制度がない時から在宅ホスピスケアをしてきた。
患者さんの望みを叶えるために何ができるか考えて行動してきた。
経済に能天気な私でさえ、今の日本の医療は大変な時を迎えている、と実感して落ち着かない。
どの世代も、増える負担を引き受けることを納得するためには、国からの正直な本音を国民に分かりやすく語ってもらい、納得の上で協力していくことしか道はない。
机上の計算で、あちこちの欠点やほころびを上手くきれいな言葉で隠そうとしていても、そこに信頼と愛情がない限り、国民に我慢をしいることはできないと思う。
たとえ、この制度が廃案になり、一時は多くの人が溜飲を避けたとしても、将来的な老人医療問題は解決されない。
私たちが“生と死”“産むこと、死んでゆくこと“の自分のいのちのリアリティを取り戻し、国民としてどういう自覚の基に、国のこれからに参加していけばいいのか、各々が問われている。
第23回 日本保健医療行動科学会
(学会抄録) 自分の力で“準備”しよう
H20.4.4
ふじ内科クリニック 内藤いづみ