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おたよりの重さ

山梨県東部地区局長会広報委員会が発行する雑誌「山東」に掲載された記事「おたよりの重さ」を紹介いたします。


 私は医者(内科医)なので、患者さんを診察して診断と治療を考えることが仕事のひとつです。そこで、自分を診断してみると、「筆まめ症」と呼んでいいと思う時があります。手紙やハガキを出すことが小さい時から大好きで、これまでもたくさん書いてきました。イギリスに七年程住んだ時は、郵便局(ポストオフィス)がいちばんせっせと通った場所でした。
 そんな私ですが、世の中には敵わない相手がいます。日本で一番の筆まめ症の永六輔さんです。旅で出合った人、ラジオ番組のリスナー、ファンたちに向けて、心のこもったおたよりを出し続けて、年間では何万通にもなるはずです。頂いた人たちの喜びの大きさを私も知っています。習慣として、今も亡き奥様宛てにも旅先からハガキを出し続けているそうです。
 携帯メールも、Eメールも、メッセージが瞬間的に地球の裏側まで届いて便利ではありますが、便利さに溺れてしまうと、失うものも大きいと感じます。便利なものほど、使い方に気をつけなくてはいけないのです。自筆の文字でのメッセージは、伝わるカが違います。今でも私と永さんの連絡は郵便です。たよりは、思いが人の手から手へと大切に渡される貴いものです。
 作家の遠藤周作先生と親交を持つようになつたのも、手紙がご縁の始まりでした。二十五年程前、周作先生は「心あったかな医療をつくる運動」というキャンペーンを始めました。若い頃から結核などの大病で入院生活が長かった先生は、医療者と患者の立場をよく理解なさつており、両者が協力して病む人の幸せのために、あたたかな医療を目指す努力をしよう、と呼びかけました。患者の権利が尊重され、患者中心主義といわれる現代では当たり前に響きますが、当時では大変勇気のいることでした。私は今でもこのキャンペーンに大きな敬意を抱いています。
 その頃の私は、東京の大病院で研修医をしており、末期がん患者さんの担当医になる度に、一体どうすれば患者さんのお役に立てるのだろう・・・と悩んでいました。多くの患者さんは孤独の中にいました。そんな悩みを書いて、先生におたよりを差し上げたところ、すぐにお返事を頂きました。後から先生が「水色の便箋と水色の封筒で、女子学生からのたよりかと思った。中身もとても心に残ったよ。」
と教えて下さいました。親交の中で、大文学者の先生から「生と死」に向かい合う仕事の厳しさを諭されました。
「医者と神父は魂に手をつっこむ仕事だ。覚悟して歩みなさい。」
という言葉をずっと忘れることができません。
 それから二十五年。多くの人に助けてもらい、何とか真っ直ぐに在宅ホスピスケアの道を歩むことができ、本当に幸せだと思っています。
 イギリスに七年住む初めの頃は、雨の多い気候にも慣れずホームシックに掛かりました。泣き言を連ねる私に、周作先生は初めてお叱りの手紙を送って下さいました。
「自分で決めた道ではないのですか?人生に、無駄なことはないのです。全てが繋がって未来へいくのですよ。」と。
 今になると本当にそうだ、と改めて心より感謝の気持ちが湧いてきます。これらの先生からのおたよりは、大切に私の宝箱に仕舞ってあります。
 また、恥ずかしながら私のプライバシーを披露してしまいますと、私の夫もかなりの「筆まめ症」のひとりです。出会ってから、仕事で遠く離れても手紙を出し合う、ということが続き、それがやがて結婚へと繋がりました。ロシア、ボルネオ、フィリピン、イギリス、オーストラリアなど、世界各地から出されたシンプルだけれど心のこもったハガキを受け取ると、とても幸せな気持ちになりました。
 私たち筆まめ症の人間だけでなく、多くの日本人が今まで頼りにしてきた郵便局の行く末を心配していると思います。国民が選択した結果としての民営化が、国民のためにプラスになるように心から祈っています。そして、その努力をみんなで応援したいと思っています。
山東 二〇〇八第三十三号 「おたよりの重さ」より抜粋