お手紙

終末期の看取りについて考える

2月3日(日)、在宅ホスピス医師の内藤いづみ先生の「スピリチュアルケアとは何か」のご講演を聞く機会に恵まれました。


住みなれた地域で自分らしい死の看取りをしたい・・・そんな願いをかたちにした在宅ケアが地域で急速に展開をみせ広がりつつあります。
在宅ケアは在宅における医療、看護、介護の3つに分けられ、一般的に介護力の弱さが指摘されてきました。
内藤先生は「死とは恐怖や不安という対象ではなく、生活に織り込まれた一場面であると考え、『死とは敗北である』という従来の医療提供者側の視点に限界を感じ、死に直面している人たちのそばに寄り添いたい、ただいるということを通じて、その方の不安を解消し安心させ、死の臨床場面においても希望を抱かせ心豊かな死のあり方を追求したい」と述べておられます。
資料によりますと「スピリチュアルという言葉の語源は(息)を意味するラテン語のスピラーレのこと。スピリチュアルケアでは、人生の機器に直面している人のことを思いやって、その人の息づかいを感じ取って、その人が本当の自分に触れいのちの輝きを思いだすことができるように、息を合わせて共に歩むことが必要になる」とあります。
わが国は世界有数の長寿国になりましたが、最期の看取りは、その人にふさわしい充実したものだろうかと考えると、言葉に詰まります。
人生最後の時に、「自分らしい死の看取りをしたい」「よかったと思えるような最後でありたい」「出会ったすべての人に感謝してやすらかに死にたい」と思っても、現実は、はたしてどうでしょう・・・・。
人は死に直面したとき、死とは誰にでも訪れることであり、命には限りがあると悟った時から、人はもう一度生きることができるのではないでしょうか・・・。
スピリチュアルは、「私たちはこの世になぜ生まれてきたのか」を考えることだと先生は述べておられます。この答えはすぐに出せないと思いますし、もしかしたら一生かかてこの答えを探していくことが、生きる意味を悟ることなのかもしれません。
「人間には(生まれる力)(産む力)と同時に(死ぬ力)があると信じ、それを引き出すことで人間として価値のある命によりそうことができる」という先生の力強いお言葉は、とても深い感銘を受けました。
素晴らしい講演会でございました。