講演のお知らせ

開催報告 2007年12月23日 神奈川

2007年12月23日に開催された湘南ケアセミナーの参加者から感想文を頂きました。ここでご紹介させて頂き、開催報告といたします。


一昔で申し上げるならば、「シアワセ」な一時をシェアさせて頂いた、というのが最もふさわしい表現かなぁ~と思います。
(どうしてだろう?)と考えたとき、ああ、そうだ、「孤独な気持ちになっている人が1人
もいなかったからなのではないか?と思い当たりました。あの場所にいた皆が同じ空気を感じていたと思います。
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死に行く人の孤独を払拭するだけではなく、見守ってきた家族との気持ちの共有、そして一緒に働くスタッフへの心配り・・・湘南のご講演が、多分日頃の先生のお人柄そのものだったのではないかと・・・。
さて、私も父を看取った「家族」の1人として今回は参加させて頂きました。我が家でも、父を見守っている間中、家族皆が悩み、迷い、ケンカし、和解し、そして多くの「笑いがありました。考えてみれば、「死」は特別なものではなく、その家族・家族が培ってきたそれまでの家族の有り様が、綽局はどんな場面であっても表れるものだ、と思っていた次第です。
打ち上げのときに、萩生田先生がおっしやっていました。「自分はこんな体だから、できることはないかって考えて、ひたすら側にいて話しかけることしかできなかった」と。
私は、彼女にこう申し上げました。例え医療のプロチームで働いたとしても、それぞれがなんでもかんでもできるわけではないから、やっぱり各々が「自分のできることを精一杯心を尽くしてやるしかないんだ、と。
父を含むターミナル期の患者さんに「医療」ができることって、「痛みを確実に取ってあげる技術」以外には無い、と私は常日頃思っております。いましも息が上がるというときに、救急車呼んで病院に駆けつけてもできることなんてない…。そんな私が今回、母や兄に対して、「最期は母の腕の中で看取ってあげるのが一番だよ」と言えたことと、家族も私の言葉を信じてくれたこと…今の仕事に携わっていたからこそ、確信できたと思います。
 そして、そう信じる気持ちが継続できたのは、やはり訪問診療して下さったドクターやケアマネさん、ヘルパーさん達でした。
父は、「ちょいとお呆け」状態でしたから、食事が摂れなくなっても、水が飲み難くなっても、「俺は治ったんだから」やれ立たせろ座らせろ、と言っては家族全員総出で体を持ち上げたものですが、さすがに、座位をキープするのもままならない…兄の腰もかなり悲鳴を上げてきた…。母は、父の体を撫でながら「お父さん、そんなに頑張らなくってもいいんだよ。」と何度も何度も言っていましたが、なんか哀しい、なにかが違う…。
そんな父が変わったのは、「お父さん、ありがとう…私はお父さんの娘でシアワセだよ」と耳打ちした辺りからじやないか、と思っています。
私の家族は、歯に衣きせない物言いをする家族、それでいて照れ屋というメンツばかりでございまして、どうやら母は母なりに「ありがとう」と耳元で囁いたらしく、兄は兄なりに「オヤジは良くやった」とやはり耳元でこつそり言っていた、というのは葬式のあとで知った次第です。まったく似た者家族であります。そして、三人が三人とも「果たして、このちょいとお呆けになった父に今の言葉は伝わったんかいな?」と思ったとのこと。
 しっかりと伝わりたんですね。息を引き取ることになった日の朝に、父は私の右手をギュッと握り締めて、「ありがとう」と言ってくれました。これまた、一人一人にチャンスをみて言い残していたようです。
現在、北海道の母は「とてもシアワセ」だと言います。亡くなるまでの4週間、添い寝したり、ケンカしたりと成熟夫婦の、濃密なときを過ごせたからでしょう。
思っていたより早くに鬼籍に入ることになりましたが、生前、決して家族を大事にする父ではなかったのですが、最期には父は、私達家族に多くの「愛」を与えでくれたと思っています。そうそう、一番大笑いしたエピソードを-つ…
退屈で退屈でしょうがない父、隣の母に言いました。「お前…落語やってくれよ」。
母は人を笑わせようとするタイプではありません。ただ、一生懸命やってることがたまたま可笑しいというタイプ…どうしたもんだか、暫く悩んでおりました。
ようやく,意を決した母‥‥
『隣の家に垣根ができたってねぇ~…へぇ~』
お後がよろしいようで。