ホスピス記事

最高の1日、最良の最期

ひかりの子2013年1月号より

「断捨離」。片づけとともに、心も空間もすっきりきれいにする修業がずっとブームである。先日私も意を決して二十年間の思い出の品々を片づけることにした。しかし感慨にふけるので片づけは進まない。山梨県にイギリスから一家で帰国して二十年。
幼子三人を抱えながら「ホスピスケア」で学んだいのちの支え方をずっと伝えてきた。
130125_01 ホスピスケアは今や、先進国の医療の中で緩和ケアという分野として発展している。
イギリスで生まれた現代のホスピスは、末期がん患者が病院に閉じ込められたいのちを自分に取り戻し、いのちの主人公として自立して歩んでいくことへの全人的な支援活動だ。特に在宅でのサポートが際立っている。“いのちの自立”が今の日本の医療の中の緩和ケアに十分育っているか、少し疑問だ。
それはともかく、がん患者さん(特に進行がんの人)が、人生の最終章を生き抜くために、私たちが最善を尽くすのががんの体の痛みを最期まで緩和すること。がんになると七割近くの人が痛みに苦しむ。今はモルヒネなどの鎮痛薬を安全に使って、痛みを取ることが可能になった。しかし、こんな思い出もある。
私は小さな手術である総合病院に入院したことがある。隣のベッドの四十代の女性は腹部の進行がんらしく、二十四時間腹痛で苦し心み、吐き続けていた。本人はがんということは知っていたようだが、医療者に苦痛を率直に伝えずにずっと我慢し続けていた。一ヵ月熟睡していない、と青白い顔で私につぶやいた。それを聞いて私は辛かった。十歳ぐらいの娘さんが見舞いに来て甘えようとしても、きつい顔をして「あっちへ行って。家に帰って。私にはあなたのおしゃべりに付き合う余裕はないの」と邪険に突き放した。娘さんは泣きながら帰って行った。(このままじゃだめだ)入院患者のくせに、私は傷口を押さえながら病院内を暗躍した。「苦しみを取る方法はある。主治医に伝えなくては」。やっと主治医が来てくれた。
「苦しかったんですね。もっと早く言ってくれればよかったのに」。
主治医も申し訳なさそうだった。すぐに痛みへの処置が取られ、その夜から彼女は安眠できるようになった。翌日、見舞いに来た娘さんを彼女はしっかりと抱きしめた。「私がいなくなってからの子どもの未来のことを考えてあげられる」と彼女は私に美しくほほ笑んだ。私もうれしかった。
人間の尊厳を奪うがんの痛みを緩和して、やっとその人は自分を取り戻し、残されたライフレッスン(人生の課題)に取り組むことができた。それは、生まれてきた意味を学ぶラストチャンスでもある。苦しみを安心して周りに正直に伝え、自分の愛する者をしっかり抱きしめられるところ。そこが、家庭であっても、病院であっても。最高の一日と最良の最期になるために、これからも「ホスピスケア」について私は伝えていく。