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どこで死にますか?


毎日新聞 2007年8月4日 「明日の私」より抜粋
「病院死から在宅死へ」
在宅医療の中心的な担い手として「在宅療養支援診療所」が創設され、1年余が過ぎた。しかし医療の必要度が高くなる高齢者の多い地域にむしろ支援診療所の空白地域が目立つなど、多くの課題が課題が見えてきた。支援診療所の届け出数が全国で3番目に少ない山梨県を訪ねてみた。【有田浩子、写真も】
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 「息が深くできるようになりました。ごはんもおいしい」
 甲府市の南部に接する市川三郷町。悪性中皮腫のため自宅で酸素吸入器を付けながら療養を続けている女性(83)は、医師の内藤いづみさん(51)が訪れるとベッドから起き上がり笑顔を見せた。
 女性が悪性中皮腫と分かったのは05年9月。最初に受診した病院には、対応に不信感が募っていた。家族が内藤さんの講演を聞いたのがきっかけで昨年11月、甲府市にある内藤さんのクリニックに通うようになった。
 内藤さんが外来から往診への切り替えを申し出たのは先月。町には在宅療養支援診療所がない。
家族は「家で過ごせるとは思わなかった」と喜んだ。週2回、近くの訪問看護ステーションから内藤さんが信頼する看護師も通う。
 女性には夫(86)と、同じ敷地内に住む息子夫婦、県内に住む娘がいる。「先生がいて安心。家族にも支えられ私はラッキー」と話す。
 内藤さんは山梨県出身。東京女子医大内科に勤務した後、イギリスで終末期ケア(ホスピス)の研修を受け、95年に甲府市で開業した。在宅療養支援診療所の届け出は制度スタートの昨年4月に行った。午前は外来、午後は往診に充てる。
 ただ、内藤さんは「一人で往診できるのは週に10人前後」と話す。重症になれば、ほぼ毎日通うことになるからだ。
 山梨県は4月1日現在で、全28市町村のうち、甲府市など11市町に支援診療所が集中し、17市町村は空白地区だ。内藤さんは市川三郷町の女性宅まで車で片道40分かかっている。往診は通常20~30分が限界とされ、甲府市からこうした空白地区のカバーは不可能に近い。山梨県はそもその562の一般診療所があるが、支援診療所の届け出割合は5.7%(32ヶ所)と、実数ばかりでなく割合も低い。地域医療が活発でなく往診する診療所が少ないためだ。
 65歳以上の高齢者が人口の半数を占めながら、支援診療所ゼロの早川町の担当者は「町にいるのは元気老人。病気になれば町外の病院に入るのが主流。1人暮らしや高齢者世帯も多く、家族がみるといっても限界がある」と、「病院死」からの急激な転換に戸惑いを隠さない。
 医療機関以外での死亡割合 国、30年で倍増目標
医療機関で亡くなる人の割合は年々増加しており、76年を境に自宅で亡くなる人を上回った。99年以降8割を超え、05年に82・4%に達した。
 国は、終末期の医療費を削減するため長期療養者が入院する療養病床を大幅に削減する今は2割弱にとどまる白宅や有料老人ホーム、特別養護老人ホームなど、いわゆる病院以外の「在宅死」を、年間死者数がピークを迎える2038年には4割に引き上げることを目標に掲げている。
 ただ、5年後、10年後の在宅医療のグランドデザインはまだない。厚生労働省の国立長寿医療センターは5月に、日本医師会や在宅医療を実践する医師らをメンバーに「在宅医療推進会議」を設置し、検討を始めた。
 7月中旬、内藤さんは甲府市内に住む75歳の女性をみとった。膵臓がんの手術後、脳梗塞を起こし失語症や認知症の症状もあったが、病院から「もうすることはない。(自宅に)帰って」と退院を半ば強要された。慌てた家族が内藤さんに電話してきた。
 12日間、家族とともに女性を支えた。亡くなる前日には少し持ち直し夫と記念写真を撮ることもでき、ホッとした半面、受け皿が不十分なまま、在宅死を迫られている現実を実感した。
 「昔もできたから、これからもやれるんじゃないかというのは安易。国は『畳の上で死にたい』という思いを(医療費削減のために)利用しているのではないか」。在宅医療に早くから取り組んできた立場だからこそ、今の政府方針に内藤さんの思いは複雑だ。