エッセイ

いのちの一瞬の輝き

ふだん記OBIHIRO(帯広ふだん記の会)2012年10月号より

涼しくなる九月が待ち遠しかった。酷暑の夏の往診は体力を想像以上に消耗する。病人やお年寄りの在宅ケアのために、県内でもたくさんのヘルパーや訪問ナースが、大粒の汗を拭き拭き働いたこの夏も終わる。

 私の伴侶は、九十歳に近い母の様子を見るために、この夏一ヶ月ほど英国へ帰省したので、猫二匹と金魚五匹の世話をする「生き物係」が私の重大任務になった。

 相談したのか、頼りない母が心配なのか、三人の子供たちがリレーのように次々と交代で都会から帰ってきた。彼らも大都会の緊張から解放され山梨のいい空気を吸い、地元食材の料理をたら腹食べて、体中を伸ばして短い休日を満喫した。

 私は重症患者さんの在宅ケアを引き受けている時には、完全にフリーの休日はない。休みでも心はその方々とつながっている。いつでも出動可能なように二十四時間スイッチオンになっている。この緊張感を抱えて働くから、当然肩こりもある。

 この夏、往診で茶道のたしなみ深い老婦人と知り合った。私の訪ねる日には、お庭から採った草花が床の間に活けられている。矢はぎすすき、猫じゃらし(エノコログサ)、やぶみょうが、ひおうぎ、宗旦むくげ、山勺薬の実。胸に染み入る濃く美しい色と素朴なたたずまいに感動する。小さな宇宙に見入っているうちに花々は静かに少しずつしぼんでいく。

一服の薄茶をいただいた。
 「おかげ様で、ご一緒に、季節の移ろいを味合うことができました」
 老婦人の言葉に私も知ったかぶりで答える。
 「全て一期一会ですね」
 この一瞬のいのちの輝きを深く胸にとどめること。
美しさを味わいつくすこと。その時、自分のいのちの在り方に気づき、永遠の向こう側がちらっと見えたような気がする。体の支柱をしっかりと整え、自然体で向かい合った時にしか受け取れない、自然からのかすかないのちのメッセージ。いつしか私の肩こりも消えていた。
 そうしてこの夏の暑さも段々と思い出になりつつある。