エッセイ

空の巣症候群

ふだん記OBIHIRO(帯広ふだん記の会)2012年10月号より

 在宅ホスピスでは、患者自身と家族が大切ないのちに向かい合う。その手助けを二十年近く、甲府の地で続けている。

二十年前には末期がんになっても最期まで家で平和に過ごせるということを信じてくれる人は少なかった。だから、いのちを学ぶ仲間だちと共に、がむしゃらにホスピスケアの啓蒙活動にも打ち込んできた。

 昨年の三月十一日の大震災後、多くの人々のいのちの貴さへの自覚が深まり、私の話の受け止め方も変わった。
 この二十年は、私の子育ての時期とも重なった。
自分の活動に没頭する母親を持って幼い子供たちには辛い思いをさせたかもしれない。まがりなりにも三人とも真っ直ぐに育ってくれたのは夫の真剣な子育てのお陰だと思う。

 「イギリスから帰国した時に、なぜ東京ではなく、山梨に暮らすことにしたの?」
 音楽好きの長男は、ライブ会場も少ない甲府より大都会の方に憧れ、
 「お母さんだって東京の方がホスピスの啓蒙活動しやすかったんじゃないのかな?」
 と私によく聞いてきた。
 「子育てには自然の豊かさと人情が一番必要なんだよ」
 と私は答えた。
 その後成長して都会に出た長男は、私の言ったことが少しは分かったようだ。

 さて、末っ子もこの春都会に出てしまい、私の家の中は(いや、心の中)空っぽになった。二十年続いたお弁当作りも終了し、台所の熱気も冷めた。夫とふたりで静かに暗く食卓に向かい合う。名医に尋ねるまでもなく、これは「空の巣症候群」だ。面倒を見てきた大切な存在を失い、自己喪失感に襲われる中高年の危機のひとつ。

 フランス人は言う。「別れは小さな死」と。死の専門家でもある私か、なすすべがなく途方に暮れている。その「小さな死」をゆっくりと受け止め、新たな人生のステップを実感する日がきっと来るだろう。二十年の間に、それこそをいのちに向かい合う方々から学んできたのだから。甲府盆地の風に吹かれて口笛を吹く日は遠くない。